もうひとつの声 詩と世紀末
この本はここしばらくの間に書いたエッセイを集めたものだが,いずれも詩と詩が置かれた現在の状況をテーマにしている.私は早くから詩を書きはじめたが,詩を書くという行為についても早くから考えはじめていた.詩作というのは日々の営みであると同時に秘儀であり,暇潰しであると同時に神聖な営みであり,仕事であると同時に情熱でもあるという意味ではまことに曖昧な仕事である.
(……)
この小さな本の第一部は三つのエッセイから成り立っている.最初のエッセイでは長編詩に先立つ詩を取り上げた.長編詩というのは二十世紀の詩において大きな幸運に恵まれた詩型だが,だからといって長編詩がもっともすぐれた近代詩であるというわけではない.密度の高い三,四行の詩がしばしば時間の壁に穴をうがつという意味では,おそらくその逆だと言ったほうがより正確だろう.しかし,長い詩――その特筆すべき例としてエリオット,ペルス,ヒメーネスの三人の詩が挙げられるが――は現代という時代のひとつの表現であり,しかも現代という時代に刻印を押したのである.二番目のエッセイは,近代詩と,断絶の伝統の終焉をテーマにしている.三番目のエッセイは,詩と革命神話の両義的でしかも大方は不運な結果に終わった関係について考察したものである.いちばん長い第二部おいては,現代社会における詩の機能を検証した.また,第二部の末尾では来るべき時代において詩はどのような位置を占めるのかという問いかけとそれへの回答の試みを提示しておいた.私の回答は単なる記述ではないが,予言というほどのものでもない.つまり,信仰告白である.近代の詩人たちは二世紀以上も前から倦むことなく「詩の擁護」をうたってきたが,この本もまたそのもうひとつの変奏曲にほかならない.
オクタビオ・パス
(本書「覚書」より)
オクタビオ・パス(1914-1998)
Octavio Paz
現代ラテンアメリカを代表するメキシコの詩人・批評家.シュルレアリスムの正統的・批判的継承者として知られる.インド・中国・日本の思想・文化にも通暁し,古今東西にわたる文明批評を縦横に展開.創作活動は多岐にわたり,『言葉の陰の自由』『サラマンドラ』『東斜面』『内なる木』などの詩集,『弓と竪琴』『泥の子供たち』『もうひとつの声』の詩論三部作,『孤独の迷宮』『二重の炎』『交流』『くもり空』『博愛主義的人食い鬼』『尼僧フアナ・イネス・デ・ラ・クルス,あるいは信仰の罠』等の評論を多数発表.驚嘆すべき博識と犀利な知性に裏付けられた評論と,20世紀を代表する詩業によって数々の国際的な文学賞を受賞.本書『もうひとつの声』を出版した1990年にノーベル文学賞を受賞.
覚書
[第 I 部]詩と近代
第一章 語ることと歌うこと(長編詩について)
第二章 断絶と収斂
1 近代とロマン主義
2 近代と前衛主義
3 収斂の詩
第三章 詩,神話,革命
[第II部]詩と世紀末
第一章 少数者と多数者
第二章 量と価値
第三章 均衡と予測
第四章 もうひとつの声
訳注
訳者あとがき
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『尼僧フアナ・イネス・デ・ラ・クルス,あるいは信仰の罠』
については、尼僧にとって信仰が罠である状態を考えてみて、
やはり、イエスが男性であったことが条件となると思う。
浅薄な見解であるが。
「密度の高い三,四行の詩がしばしば時間の壁に穴をうがつ」
とは短歌に当てはまることだと思う。
「現代社会における詩の機能」
を語るなら、やはり、コマーシャルとの関連だろう。
あるいは、星占いの言葉。
わたしは星占いの言葉をとても不思議だと思っている。
いつもいつも同じ言葉を繰り返しているのに、
いつでも彼女たちは雑誌の最後にある星占いを見ているのだ。
同じ言葉を見るために。