金と?と恋が
人間を
天使にもして悪魔にもする
ーー
風呂の中で何か考えていて
三つくらいあるなと思っていたのだが
思い出せない
金と嫉妬と恋かな
テレビ番組ワンダー×ワンダーで
後家さんと若い男が恋に落ちる歌舞伎の話というのをやっていて
恋というものは
人間を狂わせるのだなと思い、
そのあと風呂に入った
金とメンツと恋かもしれない
*****
恋で思い出したが、
私のひいおばあちゃんは明治の生まれで、
私が生まれたときにはもうすでに白髪のおばあちゃんで
なくなるまでずっと白髪のおばあちゃんで
ほとんど変わらずにいた
そんな人なんかは
どんな恋愛観や性愛観を持っていたものだろうかと考えるのだ
最近の若い女性たちのように教育されたり情報があるわけではないだろうから
ほとんどは親の世代と同じ考え方で、その再生産ということなのだろうと思う
だいたい、子どもの頃、実際に恋愛じみた景色を見たことはない
父と母が愛し合っているとは全然感じなかった
多分、であるが、多分、曾祖母たちの性愛観は、
男性が圧倒的に主導で、
男性が見初めればすべてが決まるのだし、
性愛の行為に至るかどうかも、男性が心を決めるかどうかなのだし、
結局、女性は、男性の性欲の結果を受け入れているだけというような
何だかとても言いにくい状態になっていたのではないかと思う
夏目漱石が
I love you. の翻訳としては
「月がきれいですね」と高倉健をするというような意味のことを言っていたと思うけれど、
曾祖母の立場だと、夫と二人きりで月を眺めるという行為そのものが、
あまりにもあり得ない、きざで、芝居がかった行動になるのだろう。
ましてや、そこで、月がきれいだなんて、言わなくても見れば分かる無駄なことを言う奴なんてあり得ないのだと思う。
逢い引きをするとかそんな様子は子どもには全然分からなかった
あとで話を聞くと
あの男性は本当はよそに子どもがいるとか
どこの料理屋の人はお妾さんなのだとか
あの女性は浮気がばれて離縁されたのだとか
いろいろな話はあったようだが
子どもには完全に隠蔽されていたと思う
恋愛は子どもの興味の範囲にはなくて
男の子は戦争で他国と戦い宇宙人と戦い
女の子は恋愛を通り越して子育てごっこに夢中になっていたように思う
子どもの遊びの中では恋愛は隠蔽されていたと思う
それが時代のせいなのか
私が江戸に来たせいなのか
妙に恋愛が毎晩のようにテレビで演じられていた
B級グルメの好きな
B級市民は
B級ドラマを見ていて
主な主題は手当たり次第の、いや、身近な同士の恋愛である
現在の文化のあり方と比較して
明らかに子どもに対して恋愛は隠蔽されていたと思う
あるいは子どもにとって男と女とは
女が男のセックスの対象であって、その逆ではないし、
恋愛というような精神的な次元の問題を語るのはあほらしい雰囲気であった
現代のように恋愛は精神的な部分が大きく
肉体的な部分だけを考えているのは低級だとか
そんな考えはなかったように思う
性愛を精神的なものと考えるのは
軟弱なのであって
性愛は男性の過剰なものを女性が処理する、それだけ
そんなイメージだったのではないかと思う
ただ、美空ひばりは違っていて
その歌は圧倒的な支持を受けていた
子どもの私がその歌詞の意味を考えると
実際もじもじしてしまうようなもので
一人酒場で飲む酒は・・・
未練なのねえ・・・あの人の面影が・・・
なんて言うのは、曾祖母、祖母、母の同居する家にあっては、
まったくもって異質のものだった
にもかかわらず三人とも、涙ぐみながら聞いているのである
あれは不思議だった
いまから思えば恋愛に対して非常にウェットな
心の部分を持ち続けていたのだと思う
子どもには分からない情熱を生きていたのかもしれない
一方
わたしは小さい頃から母親に連れられてよく湯治場に行っていた
子どもだから女風呂に一緒に入っていたが
周囲の女性たちの、その肉体の健康さ、壮健さは、圧倒的であった
もちろんお湯に濡れていたのだし、温泉場であるから、その前後で性愛の行為はあったものだろうし、
かなり開放的に振る舞っていたのだろうとは思う
それにしても日本女性はラテン系女性に劣らないくらい開放的で魅力的で肉感的だった
あのときの印象を、現在流布している性愛の対象としての女性像と比較すると、
現代の女は何という低エネルギーの、造花のような、幼いままの印象であろうか。
陰毛は処理などしていなかったのだろうからかなりの勢いのものであったし、
乳房は子どもの目にはとてつもないものに思えた
体全体は大変力強いものだったように思う。
脂がのっていると言えばよいのだろうか。
とても美しく思えた。
そして女同士で笑い、戯れつつ、紛れ込んでいた男の子の私を
性愛的にからかうのである
そんな健康的な女たちがいまはどうだろう
何だか不健康に不機嫌に生きているように思えてならないのだ
やせっぽっちのジェームズ・ディーンのような女の人の多いこと