フラワーアレンジメントの専門(もう一つの専門は歯科医さんです)の先生にインタビュー
Q 作品を写真でどんどん公開してしまったら、
まねをされますよね?
そうです。むしろ、まねをしてみてください。
同じにはできません。材料が同じではありませんから。
切り方も、並べ方も、同じにはできないと思います。
その技術の自信があるから、
写真なんか公開してもまねはできません。
どうかやってみてください、
どのくらい似るか。
かなり似たものができたと思ったら、
あなたは天才かもしれないし、
ワインと日本酒の区別が付かないくらいの豪傑かもしれません。
一種の即興のアートなんです。
スケッチ通りには行きません。
Q 写真を見てまねをしたとして、
よく分からない人が見たら、
似ているとは思いますよね。
そうです。それが購買者のレベルになります。
少しの違いを大きく評価してくれれば、
わたしたちはやりがいがあります。
お彼岸の花でいいという人には、
そのような花の世界があります。
パチンコ屋の開店日で見たり、
演劇の初日や展覧会の初日に、
花が一杯並びます。
そんな世界もあります。
また、フランスでは、亡くなった人をたくさんのきれいな花で飾ります。
そのような文化もあります。
教会は教会で伝統があります。函館のトラピスチヌですずらんを大切にしていたりします。
また、ターシャ・テューダーのような方向もあります。
わたしが好きなのは、日本の生け花よりも、
フランスのフラワーアレンジメントなのです。
わびもさびも自分なりに理解して消化してしますが、
現代日本の花は、どのような人々、どのような感性を相手にしているのか、
わたしには理解できません。
本能的に拒絶してしまいます。
わたしにはフランスのフラワーアレンジメントしかありませんでした。
最近は、プリザーブドフラワーも工夫しています。
生花みたいに、新鮮で微妙な色があり、
くっきりと自分を主張するのではなくて、
やはり半合成品のようになりますが、
それでも、便利な一面もあります。
色のバリエーションも困ることもありますが、
そこを何とか工夫します。
生花のアレンジメントよりも、制約の多い工夫ですから、
難しいのですが、
チャレンジして、うまく行くと、とてもうれしいと思います。
プリザーブドフラワーも、色の濃いものは少しずつ色褪せていきますから、
長い時間のうちには、変化がわかります。
ほこりが付くような場所では、昔写真で使ったような、
空気を吹くものを使ったらいいと思います。
皇室関係の黒田さんが古いカメラを大事そうに
手入れしていたときに使っていたようなものですね。
あとは湿度管理です。
乾燥がよくないので、
湿度のある場所、
しかし湿度が高すぎてもいけません。
人間にとって快適であれば、
花にとっても快適と考えてよいかもしれません。
Q 花がきれいなのはどうしてでしょう。
そうですね。究極の難問です。
わたしはバラが一番好きです。
形、色、香り、すべてを満たし、たくさんの種類があり、
バラだけでも、ほとんど無限です。
バラの原種はワイルドローズやイングリッシュローズと言って、
野生の味わいがあります。
花が美しいのは、脳の中に花を美しいと感じる回路があるからだと言いたいのでしょう?そしてそれは進化論的に形成されてきた。
それはそうでしょう。あなたのいいそうなことです。
花が咲いている温度と湿度、そして害虫の少ない環境は、
人間にとっても適した環境だった、だから、花が好きな人間が生き残った、
それとはまた別な観点で、たとえば桜の美しさは独特なものがあります。
一緒の示準化石のようなもので、
春の短い時期、そのときに何があったか、
くっきりと分かるわけです。
人生と密着しています。
特に春の進学就職シーズンで、
別れも出会いも、刻まれています。
バラの美しさについては、大きな深い謎です。
食べておいしいわけでもないですし、
日本の菊のように特別な立場にあったわけでもありません。
なぜか知りませんが、人間の脳を、刺激してやまないものだということになります。
Q わたしもバラが何といっても一番好きです。次は桜。
一時「おしるし」を決めようといろいろ考えて、わたしはクレマティスを選びました。地味な花で、わたしはそのように地味に生きたいのです。
地味に生きたい人にとって、カウンセラーはいいかもしれません。
カウンセラーがでしゃばったり、自分の人生を話し始めたら、
おしまいですから。
どこまで歪みのない鏡でいられるか、ということです。
Q 技術料の問題については、やはり社会として未成熟な面があると思います。
薬一粒いくら、バラ一本いくらというものは、納得しても、技術料いくらという部分については、
あまりお金を払わない習慣のようです。
どんな人がどんな状況で、どんな条件があって、予算はどのくらいで、
相手の人はどんな人で、どんな状況で、といったように、ほとんど心理カカウンセラーと
同じだけの聞き取りをするわけです。
その上で、イメージが生まれ、インスピレーションがわくのです。
もうすこし言うと、第一印象で、この人にはこの花、と
強いインスピレーションを感じることがあります。そしてそれを中核にして、
季節や色の関係で、周囲が決まっていくこともあります。
えらそうな話ですが、
そのインスピレーションは、わたしたちプロがプロの集団の中で互いに長い時間をかけて磨きあい、
経験を蓄え、独自に研究をし、しかも、いま目の前のあなたと出会って感じる、唯一のものです。
写真を見てまねして何かできるものではないのです。
注文シューズがぴったり合うような、
注文めがねがぴったり合うような、そのようなものです。
私が歯医者なものですから、変な例えですが、
一人一人の人の入れ歯のようなものと言っていいかもしれません。
いやそれでは、こちらの人格が過小評価されています。
心理カウンセラーと似ているようなものです。
人格と人格が化学反応を起こし、
新しい事態が発生するのです。
あなたがわたしの花に出会うとき、
そのような新しい事態が起こることを期待しています
。
出会いのアートなのです。
経験とインスピレーションに経費をどの程度支払うのか、
これも文化の成熟というものでしょう。
出来上がりが明らかに違うのですから。
Q それは心理カウンセリングもおなじです。最大公約数の公式というものは教科書に乗っています。
レクチャーもできます。もう古くなりましたが、ポジティブシンキングとか言う、粗雑な考えですね。
フロイトの性的抑圧説でもいいです。
あるいはPTSDでの虐待体験でもいいでしょう。セントラル・ドクマですね。
でも、否定はしません、患者さんはそう信じているわけですから、そこはいい手がかりになるんです。
そこから出発すればいいんです。どこから出発しても、最終的に富士山に登ればいいと考えています。
ですから、これも、アートですね。
個人の置かれた状況は全部違います。治療中にもいろいろなことか起こってきます。
そんなかで、どのようにして解決を見出していくか。
これはいつも応用問題です。基本問題の反復ではありません。
その意味で常にクリエイティブであり、アートなのです。
サイエンスならば、担当者が交代しても、同じ薬で、同じ治療プラグラムで治るでしょう。
しかし心理のことはそうは行かないでしょう。
そのカウンセラーだから、ここまで来たということがいえるのです。
カウンセラーが違えば、また別の道を通って富士山の頂上に上ることになります。
日本の文化のあり方ですね。
サービスに対してありがとうという習慣がうすい。ありがとうの表明として、金銭で渡す習慣が希薄だ。
たとえば、バラが一本150円、抗うつ剤がひと粒250円、
これが人々の欲しいもので、それをどのように使うのか、抗うつ剤の中でもどれをいつ使うのかについては、副次的な問題のようなんですね。聞いても、無料。
ネットに無料情報はありますし、
本屋さんに行けば、比較的安い値段で情報を得られます。
しかしそれはそれだけのものです。
薬を渡すときに薬剤師さんが、一般的な情報として、伝える。
お医者さんはもう少し深いことをしているつもりなんですが。
バラの花にしても、机の上にあれば紛れもなくバラの花で、
素朴に充分にありがたい。
しかし、もっと楽しいことができるかなとは思わない。
そこに生まれる付加価値に盲目である。
たとえば、ネットで調べて、わたしの症状にはこれが効く、
だからこの薬を下さいという場合、
わたしは拒みません、富士山に登るなら、どこからでも登って見せましょうというのが、
わたしたちプロのプライドです。
ピンクのバラにこだわる人がいても、それを根本条件として、今回新しく工夫しろという課題なわけです。
いつでも新しいインスピレーションを試されている。
インスピレーションが枯れて、繰り返しになったら、もうクリエーションではないので、
フラワーアレンジメントはやめて、虫歯と矯正歯科を続けたいと思っています。
インプラントも。