須賀敦子を読む 湯川豊さん
湯川豊さん(70)
■あと少しの時間があれば
イタリアで長く暮らし、鮮やかに情景をよみがえらせる美しいエッセーを発表した須賀敦子(1929~98)。没後に刊行された全集も異例の売れゆきで、今も新しい読者を獲得している。
生前出版された本は5冊。自身が文芸春秋の編集者として手がけた本もあるが、個人的な思い出は背景にとどめ文章を丁寧に読みといていった。「人となりについては書かれても、作品はまだきちんと論じられていない」との思いから、彼女が書いたものの意味をもう一度本気で考えたかったという。
須賀作品では、のびやかな息の長い文章による場面や会話が細密で、描かれた人物がまるで古い知り合いのように立ち上がる。それを「書くことで生き直す」と表現する。過去を現在形に創出する文章は、須賀が翻訳したイタリアの作家ナタリア・ギンズブルグから影響を受けた。編集者として多くの作家の文章を読み、自身もエッセイストである湯川さんは「それまでの日本文学にない文体を発明した」という。
1950年代にヨーロッパに留学、社会活動を実践する行動力。幅広い読書、深い思索と信仰。他者との連帯を探りながらつねに孤独を見ていた。「孤独であることは人間の運命で、だからこそ連帯できると考えていた。読者もそうしたところにひかれるのでは」
少女のころから「本を書くひとになりたい」と願った須賀だが、文筆家としてのスタートは遅く第1作『ミラノ霧の風景』を出したとき61歳だった。無名の著者の作品の洗練に目をみはった湯川さんが会いに行った日から、友人としてのつきあいも始まった。
信仰を題材にした初めての小説の執筆途中で須賀は病に倒れた。「書きながら書くべきことをどんどん発見していった。彼女に許された時間との間がアンバランスだった気がしてならず、もう5年早く書き始めていたらと思えるのです」
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孤独であることは人間の運命で、だからこそ連帯できる
そうですね。
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書きながら書くべきことをどんどん発見していった
そう思う。