精神病と薬

精神病は、統合失調症、躁うつ病、うつ病、PTSDや解離性障害など

原因やメカニズムがよく分かっていない。
それでも厚労省は病気と薬剤の対応について定めている。
どうしてそんなことができるのかよく分からないが、そうなっている。
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薬剤の側で分かっているのは、
たとえばドパミン伝達遮断作用があるとか
セロトニン伝達促進作用があるとか
そのあたりである
そのことと病気のメカニズムとのダイレクトな関係は分かっていない
おおざっぱに言って、外界からの刺激が過剰に感じられる場合、
ドパミン遮断薬を使う。
だからといって、その人が統合失調症と診断がつくわけではない。
外界刺激が過剰と感じる人は当然引きこもりになりやすい
自分を守りたいからだ
外界刺激が過剰が過剰と感じる人は
幻聴や妄想に近いのかというといろいろな議論が必要である
またおおざっぱに言って、
頭にブレーキがかかってしまった場合、
セロトニン系の促進役を使う
だからといって躁うつ病やうつ病の診断が確定的なわけでもない
統合失調症でうつ症状が出ることは多いし、自殺も少なくない。
うつ病で妄想にも至るし、紛らわしいことはいろいろと起こる。
これに性格障害を加えて考えると、
東京の地下鉄みたいにいろいろと相互乗り入れしていて
いつの間にか別の路線に入りこんでいる
そんなことがよく起こる
一瞬の写真を撮っただけでは分からない
どこからどこに走っていったか確かめて、
どのような相互乗り入れがあるのか、
確認しないといけない
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精神病の診断で、何をしているのかというと、
その人の人生という、比較的長いビデオを見ている感覚である。
DSMの診断項目とかICDの診断項目は、どちらかと言えば、
最近の異変を写真で何枚か提示して、
その中で診断項目に当てはまるものがどれだけあるかを
考える方式である
もちろんそうしないと
話が複雑すぎて
ある薬が何に効くのかというような
素朴な話でも、いきなり難しい話になってしまうのでは、
効率が悪いので、
話を簡単にして、
最近二週間程度の状態像=写真を見て、
一応病名を決めて、コードを番号で決めて、例えば、32.1など、
その上で、その患者さんたちに、ある薬剤がどれだけ効いたとか
効かないとか議論しようという、
一段妥協した形での厳密さである
原因も因果関係のメカニズムも、
全部考えることは一時停止で、
統計処理で関係あるかどうか、探っていく
それはそれでとてもよい方法論で、
長い時間がたてば、貴重なものになる
しかし一方で、我々には、経過による診断学がある
人生の全般を見て、診断を考える
一つ一つのエピソードは、その全体の像の中で
解釈が決められる
また逆に、一つ一つのエピソードが人生の全体像を描き出す
そのように見た場合、
大変典型的に統合失調症的な人生を送っている人もいるし、
しかしそれは病気そのものではない。
また大変典型的に躁うつ病的な人生を送っている人もいて、
しかしその人は病気そのものではない。
その場合に病前性格という言い方をするのだが、
特に病気の前というものでもないから
適切とも思えない
我々としては、
エピソードに対応して処方することもできる。
大うつエピソードに対してセロトニン系薬剤を使う。
統合失調症的エピソードに対してドパミン遮断系薬剤を使う。
しかしそれだけではない。
人生全般の歩み方が、統合失調症的ならば、
ドパミン遮断系薬剤がその人の生きやすさを手助けするだろうと考えられる。
人生全般の歩みが、うつ病的ならば、
セロトニン促進系薬剤がその人を生きやすくしてくれるだろう。
はっきりしたメカニズムは分かっていないけれど、
そして、仮説ならば、ある程度提示できるけれど、
多分、そうだと感じている。