根来塗り(ねごろ)

漆器は、英語でjapanと標記される。陶器がchinaと呼ばれるように、欧米では漆器をもって、まさに日本を代表する工芸とされたわけだ。確かに、器を手に取って食事をする日本の習俗の中から、軽く持ち易く、熱いものを入れても持てるものとして生み出された漆器は、japanと呼ばれるにふさわしい。
 漆という言葉は、麗(うるお)し、美(うるわ)しが、転訛したものと言われる。漆器の光沢、深みある色、滑らかでぬくもりのある手触りは、まさに麗しくも美しいものだ。
 いま、漆器の生産地として名高いのは、輪島塗の石川県、会津塗の福島県だが、和歌山県は、かつてそれらと並び称される漆器の産地であった。
発祥の地は根来寺
 “根来もの”“根来塗”といえば、骨董や器好きならもちろん、だれもが一度ならず耳にしたことがあるのではないだろうか。
 長の歳月使い込まれれば、上塗りの朱が擦れ、下地の黒漆が浮き上がり、趣ある抽象模様が描き出される根来塗は、「用の美」で全国に名の知れた漆器だ。古美術の世界では、根来といえば高値がつき、国内はもとより欧米の好事家にも人気だという。
 その根来塗の発祥の地が、和歌山県北部の岩出町にある根来寺。鎌倉期から南北朝時代にかけて隆盛を極めたこの寺では、数千人にも上る僧たちが日常に使う什器として、大量の漆器が生産された。大規模な工房とともに大勢の優れた工人も居たと思われるが、天正13(1585)年、歴史に名高い豊臣秀吉の根来攻めで、一山灰燼に帰した。工人たちは散り散りになり、和歌山県の海南黒江を始め、輪島や薩摩に行き着いて、根来塗の技法を伝えたと言う。
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中塗りに黒漆を、その上に朱漆を塗り乾燥後、表面を研ぎ出し所々に黒の研ぎ出し模様をつけた漆器を総称しています。 
発祥の頃は、作為的に研ぎ出しをしたものではなく、日常雑器として長い期間使用している間に表面の朱漆が擦り減り中塗りの黒が表面に模様として出来たものであると云われています。 
本来、僧の日常雑器であるため大量生産されていたもので、朱漆の塗立て(ハケ塗り仕上げで磨いていない)仕上げであり、現在の様に研ぎ出したり磨き上げはされておらず全面が朱色の表面であったと思われます。
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