予測と実際のずれを問題にして
精神症状を説明する試みがいくつもある
私の説明もその一つだ
たとえば
水筒にお茶がいっぱい入っていると思い込んで
持ち上げたら
中身が空っぽで
拍子抜けしたという体験がみんなあると思う
予測と実際がずれてしまったとき
こんなことが起こる
神経と脳の仕組みを考えてみると
自由意志が存在しないことは自明である
(と私は言い張っている)
ミジンコを誘導するには
環境の酸性とアルカリ性を調整すればいいらしい
神経は刺激に反応して出力を返しているだけなのだから
自動反応機械であることは
自明である
(これも同意は得られないまま私が言い張っている)
それなのに
人間の体験としては自由意志があるはずと思わざるを得ないところがある
それはどのようにして生成するのか
そしてそれが障害されたときに
自生思考やさせられ体験や幻聴が生じるのはなぜか
この事情を説明するメカニズムとして
人間は自動反応機械であると同時に
内部で現実の予測を行い
実際の結果と照合していると考える
(これは異論がないだろう)
すると、
予測と実際が一致しているときに
自由意志の感覚が発生する
予測よりも実際が時間的に先になってしまうと
させられ体験になる
そして同時になれば自生思考になる
予測が実際よりも一瞬早ければ
能動感が発生する
幻聴は他人の声と聞こえるのだが
これは内部での照合で
予測が実際に遅れるので
他人の声と聞こえてしまう
実際は自分の内部で生成されている声である
幻聴は多分、二系統あって、
ひとつは時間遅延によるもの、
ひとつは雑音の中からゲシュタルトを拾い上げてしまうもの、
後者はロールシャッハの原理である
こうしてみると
させられ体験と幻聴の治療として一つ考えられるのは
脳の照合部分に
自動反応機械としての信号が流入する時間を少しだけ遅らせればいい
予測部分に対しては遅らせないのがいい
昔のドパミン遮断剤は自動反応機械部分も予測部分も遅延させてしまう
新しいドパミン遮断薬は
自動反応機械部分を遅らせて
予測部分を遅らせない
だから効率よく
させられ体験と幻聴を治療できるのである
ーー
概略、こんなことを言っているのだけれど
これは歴史で言うと典型的でいつの時代にも繰り返されてきた議論である
宗教の時代には
神の摂理と人間の意思の微妙な問題であったわけだし
科学の時代には
さまざまな比喩で
たとえば電話交換機で
たとえばコンピュータで
たとえられてきた事柄で
道具立てを替えたとしても
思考の経路は同じようなもので
従ってこれが繰り返されてきた錯誤である可能性も大いにあるのだが
その場合も
典型的な錯誤であると主張することができるだろう
歴史的に少数派であるが
しかし典型的な錯誤