なぜ新型うつ病という言葉を使うのか

ある先輩の語ること。
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最近のうつ病は昔のうつ病と違うなあとしみじみ思うところがあるわけで

そこを新型うつ病と呼んで昔のうつ病と区別してみたいということがある
まず
うつ病の定義が厳密で昔と同じならば
新型などというものになるのはかなり難しい話だ
まず第一はうつ病の定義または診断基準が変わった。現実にはゆるめられた。簡単になった。
これは学問の成果ではなく政治力。
第二にそれによってうつ病の意味する範囲が拡大した。拡大しすぎて、
うつ病と聞いただけでは何も分からないくらい。
原因にも言及せず
病前性格にも言及せず
状況についても言及せず
そのようにして定義した
そうすると雑多な状態がうつ病として登録されることになった
神田橋先生が提案したように
精神科の診察での観察として
1.言葉
2.意識的表出
3.無意識的表出
の三つの層で観察して、
昔のうつ病はこの間に一貫性があった。矛盾がなかった。
1.言葉。とんでもないことをしてしまいました。もうわたしは死ぬしかありません。
2.意識的表出。涙を流し、悲しみに暮れている。→自分でコントロールできる部分。
3.無意識的表出。目の表情が限りなくつらい。声のトーンが悲しみに小刻みに震えている。微細な汗の症状が出る。→自分でコントロールできない部分。
これが古いうつ病である。
最近のうつはこの3つに一貫性がなくて矛盾がある場合がある。それは新型というしかないだろう。
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たとえば
自分はうつだとうそをつこうとしたとしてどうなるか
1.言葉。これは単に言葉だから嘘をつける
2.意識的表出。これは泣くまねをすればいい。悲しそうにしてため息をつけばいい。大根役者でもできる。
3.無意識的表出。たとえば瞳孔の反射とか、毛根の反射とか、そのようなあたりまでコントロールできる人はいない。ヨガの達人などはできるのかも知れないが、凡人には無理である。
もちろん、嘘をつこうとしているのではない。それは分かるのだけれど、
この3つのレベルで矛盾があるのである。
3つのレベルに矛盾があるものが新型うつ病である。
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似たようなことは
精神病者が
悲しい内容を喜びの表情で語り、それが奇異に映るということにも通じる。
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しかしながら、サラリーマンが休暇をもらって、ハワイに行くということについてみれば、
現代の若い人はそれ自体奇異と思わないかも知れない。
ところが、それまでのその人の人生を考えると、奇異だと思われる場合がある。
エリートコースを歩んできて、大企業新橋本社または汐留本社に勤め、
将来を嘱望され、これまでのいろいろな積み重ねもあり、業績をあげてきた、という人が、
うつ病の診断書をもらってハワイに遊びに行くというのでは、
やはり辻褄が合わない。了解不能である。普通に有給を使ってハワイに行けばいいことだ。
頭のいい人なら業務でのハワイ出張を組んで出かける。
お医者さんは国際学会と称して観光しているし
役人は視察と称して観光している
それとは別に
ある種の仕事をしていて、ある種の人生の歩みをしてきた人が、
言葉の上でうつ病ですと語り、ある種の診断書を書いてもらって、ハワイで遊ぶというのは、矛盾でもないし、了解不能でもない。
そのような人がいるだろうということは理解も了解もできる。
これは新型うつ病でも何でもない。昔からいた。昔は医者に行っても追い返されただけである。
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うつ病で休んで出世が早くなることはない。
給料が増えることもない。
それでも、うつ病で休暇を取りたいのだという。
古いうつは、自分は絶対休まないと言い張り、
医者は、ドクターストップだから、休んでくださいとお願いしたものだ。
新型うつ病と古いうつ病の、この差を経験すると、両者は別のものだと考えるようになる。
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そのあたりを総合して、奇異であり、了解不能であるという場合に、
新型うつ病とわたしは呼んでいる。
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なぜこのようになるかといえば、
世界モデルが違っているのだというしかないだろう。
人生観と価値観が違っているとしか言いようがない。
この先どんどん職場での立場がなくなって
結局転職を繰り返し
仕事がどんどんつまらなくなっていくだろうと
見えてはいるが
そんなことは判断材料にならないらしい。
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そうですね、先輩の言うことも、もっともだ。
まあ、うまいものでも食べましょう、ということになる。