空想的全能感と自己愛とネット社会

最近はやたらに
ネット社会
空想的全能感
自己愛
について書いている

因果関係と言うのでもないが
お互いに親和性があるようで
ネット社会という培地に
自己愛というカビがはびこり
その胞子は空想的全能感となって飛び回り
また別の培地ではびこるようだ

空想的全能感は
新しいものではない
呪文を唱えれば魔法の力
という系統はみんなこれだ
仏教の一派でいうものもそうだ
宗教にはかかわりがある

おまじないの言葉で何かが可能になるというのは
実にコンピュータ的である
パスワードで可能になる
正しいコマンドで可能になる
知力のレバレッジといえば確かにそのようで
個人の知力を具体的に形にして見せてくれる
何が可能であるか見せてくれる

とはいっても、高々コンピュータの中でのことなので
そんなに喜ぶことでもないと考えられるのだが
本人たちにすれば大きな達成感である
それは現実世界での達成感の少なさと関係しているのだろう

真言の魔力は怪しいというので
言葉を排した仏教派閥もあり
しかしその人たちは今度は行為の体系をおまじないの代わりにしてしまい
それはそれで救いようがない
只管打座といっても
なかなか難しい

子供の世界でいう変身ものなどは幻想的全能感の具体化なのだろう
おまじないの言葉と
動作の連続を原則としていて
いかにも仏教国の子供になじみそうだ

家系の力というのも
自己愛の源泉となるようだ
そのために苗字というものは有効である
また家族にはそれぞれ家族の物語があり
お墓参りの時に年寄りが語って見せたりする

現代のように一応能力主義になってくると
自己愛の源泉も
ある種の能力に偏る

いまどきは利他愛の能力を
自己愛の源泉としている人は珍しいのではないか

空想的全能感は性の世界ではどのような花開くものかと考えている
全能感は支配の感覚と結合しそうで
Sadisticな傾向と結合しそうなのであるが
自己愛性の人たちとサディスティックな人たちとの集合はどのように関わっているのか
よく分からない

性の回路を考えると
どちらかといえば
男性の方が全能感の幻想にははまり易いように見える
そして挫折し易いようにも見える
そこを狙って各種精力補強剤が販売されている

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簡単にいえば
おまじないですべてが可能になる世界を
人間はずっと夢想してきた
それがネット世界で可能になっているのであるから
はまるはずなのだ

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現実世界は空想的全能感が次々に傷つく場所だといえる
現実には思う通りには行かない
その場合に過剰にネット世界で満たされたりしているのではないかと
大人は心配している
ではネット世界を子供から取り上げればいいのかといえばそうでもない

傷ついた全能感を癒して普通の現実認識にまで着陸させる回路が必要なのだろう
それは何だったのだろう
家族だったというのが一つの答えで
ついでに最近は機能不全家族が多くて
子供の全能感の傷つきを癒す機能が果たせていない
だからネット世界に吸い込まれて行って出てこなくなる
といわれる

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テレビ番組で考えると
水戸黄門がそうだろう
現実の問題解決は暴力になって実行されている
黄門様お抱えの人たちはやたらに強い
不死身である
情報戦でも確実に勝利する
そして最後の儀式で葵のご紋が登場する。
これが空想的全能感の象徴である。

象徴を持つものと持たないものとでくっきりと分断されている。

象徴は分断の記号でもある。

排除し分断するものであるから
閉じこもるものには好都合だろう

自分をとりまく無理解で野蛮な現状を否定するには
分断し排除した方がいい

連続しているものは
批判が難しい

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