仕事がどんな風にダメかを分析して
その結果としてよくなることは
ほとんどないように思う
誰かを責めて終わることが多く
責められた誰かは誰かを恨むのだし
いいことは何もないだろう
逆になぜ成功しているのかも
説明は難しいと思う
いろいろと意見があるのは
単に結果をいろいろに解釈して商売にする人がいるからで
はっきりしたことは分からないままだ
解説者が何か立派なことができるわけでもない
たとえばイチロー本人も
朝にカレーライスを食べることと
ヒットを打つこととは
どう関係しているのか分からないだろうし
それでいい
大半が生まれつきと偶然なのだ
しかしそれでは生きていることが無意味で苦しいから
意味が発生するように
行動しているわけだ
あるいは行動を解釈しているわけだ
そうしないと
ヒットを打つことが無意味になる
野球という限定されたルールの中で
勝つのではなくてヒットの本数を多くすることにどれだけの意味があるのかといえば
よく分からない
ただイチローまたはその周囲はそのように目標設定をしたのだし
それは達成可能で話題になるものだったので適切な設定だった
これなどは
自分のできることに意味を見いだすという典型である
考えてみればどれだけ多くの目標設定ができるだろう
ずいぶん他種類の目標設定が可能である
だから無意味なんだということも
うすうす分かってしまう
種の保存とか個体の生命維持とかそのあたりは
かろうじて進化論的に意味を肯定できる項目である
ただし進化論的にのみである
子どもを育てることに意味を見いだすような人たちの子孫が生き残るのだから
結局意味があると考えるようになる
ただそれだけの意味である
そんなことで言えば
イチローのヒットの数よりも
妊娠したからいやな男だけど結婚して子育てを始めた
という方が「意味」があるのだろうと思う
野球に関心のない人にとっては
ヒットの数などは関心がないわけだ
その場合の関心はお金という共通価値になる
それは利益に換算するとどのくらいになるのかな?と問うことができる
青色ダイオードの発明とイチローのヒットの積み重ねを
金銭として比較することさえできる
こんな側面が確かにあるのは
とても不思議なことだ
比較しても意味のないことだし
比較もできないことなのだけれど
それでもうすうす比較して
驚いている
ーー
精神分析の笑い話は
どうだい、精神分析で、おねしょは治ったかい?
いや、おねしょは続いている、でもこれが恋人それが気にならなくなったんだ。
というもので
分析と言うことの脱力的性格を表現している
フロイトについて注釈することが
分析になっているおかしさ