神を崇拝することと人間を崇拝することとの間に同じ言葉を用いることは正しくないかももしれない
神への崇拝は
人間への崇拝を無限に拡張したものだからだ
崇拝の無限操作を行った末のものをも崇拝と呼んでいいのなら同じ言葉を使っていいだろうけれど
それは言葉の粗雑さというものだろう
ーー
そのようなことを考えているときに
人に崇拝されるようなことに出会うと
それは何だろうと
無限演算の逆演算を始めてしまう
神を崇拝することと人間を崇拝することとの間に同じ言葉を用いることは正しくないかももしれない