あけましておめでとうございます
当方では今日5日から仕事が始まりました
時差ぼけのような感じで不快です。
耐性がありません。
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/genesis/039/01.html
こんなページで24回、39回などは
あるいは統合失調症系統の症状と思われる記述があります。
http://ds-pharma.jp/medical/gakujutsu/consonance/caseI/vol32.html
ここで台先生が面白いことを書いていて
さらに中井先生が
http://ds-pharma.jp/medical/gakujutsu/consonance/caseI/vol30.html
不思議な治り方をする患者が確かにいる。
隔離室に宮城道雄の「春の海」が聞こえてきたとき、すっと病い抜けした女性の報告が
川越市(埼玉県)の病院からあったのを覚えている。1982年の日本精神神経学会だった。
まだ抗精神病薬のなかった頃、私が医学部で教わった教授のうち3人は統合失調症を経験していた。
そういわれればそうだったかというくらいだった。本人も1人は公言していた。
どうやら、幻覚や妄想、少なくとも幻覚には、それに対する耐性が個人によって違うようだ。
ある工学部の大学院生は幻聴を訴えていたが、よく聞くと、高校時代からあったと言う。
当時と現在との違いは、それへの「耐性」だと語った。おそらく3人の教授たちも耐性が強かったのだろう。
と紹介していて、一番上で引用した「パソコン創生期」の記述も、「耐性」の問題なのかもしれないと思いました。
いままでどれだけのことが言われているかよく分からないがそのような視点はあるのかもしれない。
耐性の一方で自我違和感とかそんな言い方がどれだけ近いか遠いか気になるようなところだ
いまに至っても、中井が一番新しいとはどういう事なのか。
我々凡人ができることは何だろう。
ーー
疲れてくると私の場合は腰が張るような感じが出たりして不思議なものだと思います
とくに腰を使ってはいないのですが
正月中中断していた規則正しい生活をまず取り戻して
時差ぼけを解消しないといけないようです
正月休みのはじめはインフルで
終わりは時差ぼけのような不快さにつきまとわれて
最近は何かあるとぴったりと食欲がゼロになるのでこれも不思議なことです
頭では時間だから食べなければと思うのですが
全く食べたくありません
むしろ食べる前からのむねやけがあります
この症状ももう何度も繰り返してきました
つまり私の人生の危機的状況のたびにです
危機の内容も深刻さも人によって違いますから
小さいけれど私なりの危機と言うべきでしょうか。
20代には精神的に内省して悩んでいたと思うのですが、
30台40台となって次第に心身化して悩むようになったのだと思います。
これは成熟の逆です。
先日昔の自分を知る人に会ったとき、
昔は体が弱かったのにねと言われたりしました。
現在は仕事を休むことはほとんどありません。
ずいぶんと変わったものです。
何が変わったのか。
「耐性」が変わったと、ここでは言えるのではないかとも思います。
強くなった、鈍感になった、気にならなくなった、内在化した、友達になった、手な付けた。
思えば20代はずいぶんいろいろな病気をしていた。
風邪もきつかったし。
それからあと30年にわたって何が起こったのだろう。
周期的に不調はあった。しかし若い頃の感覚とは違うもののようだった。
いま私は何をしているのかと、相変わらず若い頃のままの問いを自分に投げる
何をしても何をしなくても等価値であるといまの私は答える。
やりたかったらやればいいし、やりたくなかったらやらなければいいし、
いずれにしても等価値である。
だから何も悩むことはない。
やりたいようにやってよい。
新橋駅山手線のホームで、日比谷口の近くに立つと、外堀通りの自動車の列が目に入る。
そして私は思う、こうして私が生きていることは日々のうち続く欠落なのだ。
昨日まで一緒に帰っていた人が今日は一緒に帰らない。
むしろ私を憎んでいる。
そしてその誤解を解く気力もなく、私ははじめからあきらめている。
私があきらめればすべては納まるからだ。
わたしがあきらめればそれでいい。
わたしは愚かだ、それでいいではないか。
私が愚かだと断定して誰かが損をするわけでもない。
そして実際に愚かであるし、
未熟であり、無知であり、力があれば過剰に使用し、負けたときには不釣り合いに大きく落ち込む。
そんな日々を車の流れの中に見ている。
そして電車は到着し、夜10時半の山手線はやや空いている。
美しい人の表情に出会えば
いままでの想念はすべてゼロになる
あまりに清純な表情がそこにあって
そこでまた私はもうひとりの自分になる
それはあたかも意識の変性である
私にはまだ自分の人生の道のりが見えない
先も見えないし
通ってきたあとをきちんと覚えているような立派さでもない
人に言われてそうだったかなと思う程度で
まるで実線でつながっているのではなく波線でつながっているようなものだ
夕食、食欲がなかったので、遅い時間になってから
うどんを食べた
そこに鰹節をどっさり入れた
鰹節は奥歯の間に挟まって歯ブラシでもでて来ない
そのようなものが発酵腐敗して口臭を形成する
老人は切ない
心の半分はこの世界に参加してこの世界を変革していく
すこしでもいい世の中になって欲しい
心の半分は和歌の世界にいて時間も過去で
この世界から30センチくらい浮いている感じがする
しや30センチ沈み込んでめり込んでいるのかもしれない
そこが不適応なのだろう