正月の終わり

通勤を始めたら3日目で体がしゃっきりしてきた

不思議なものだ
冬休みの最初から不調になって、休み中は不良で
休みが終わるとやっとすっきりするパターンは
ここ何年か繰り返しているような気がする
風邪をひいたから休むのではなくて
風邪をひいてもいい休みになったから風邪をひいている感じだ
わたしは人間が嫌いだから正月にも誰にも会わない
住所はしばしば引っ越ししていて
しかも誰にも通知しないので
郵便はきわめて最近登録したダイレクトメールしか届かない
郵便の転送手続きはしない
今年も年賀状はダイレクトメールが二通来ただけだった
正直寂しいのだがいつものことだと思っている
電話は誰にも教えないし
しかもよく変更しているので
これもけっして鳴らない
メールはこれもきわめて限定した範囲でしか教えていないし
理由もなく勝手に変更するので
音信不通になる人が多い
旧知を温めるのではなく
当座の連絡ができればいいというだけだ
正月は誰とも会わず誰とも話さず過ごす時間である
そうなるとやはり体調は不良になり
多分、虫でいうと、「さなぎ」くらいの感じになっているのではないかと思うのだ
食料も買い置きしてあるので関係ない
順番に食べる
何かの会合でホテルに行くと
眩しいような幸せな光景が目に入る
今年見たのはおじいちゃんおばあちゃんが先にホテルに宿泊していて
そのあとでぎりぎりまで仕事をしていた息子夫婦らしい子ども連れが
合流する風景である
結局みんなでホテルで正月を過ごすらしい
おもに女性が楽をできるということのようで
ある人は女房孝行だと言っていた
それにホテルに滞在してしまえば
親戚回りも省略できるらしい
その代わり、毎年顔を合わせる知り合いができたりもするらしい
こんな場合、子どもさんは少しかわいそうな気もする
久しぶりに田舎に行って、田舎の子であるとはどんな感じであるかを体験してみたり、
田舎の家はどんな感じなのかを体験したり、
父や祖父たちの古い写真を見てみたり、
父によく似た親戚が次々にやってきて
昔話をして帰って行ったり、
田舎料理を食べてみたり、
そんな風なプライベートな「ルーツ探し」の時間なのであるが、
ホテルで暮らすと小朝の落語とかそんなものが恒例で
書き初めもあるし何でもあるのだけれど
それは学校でやるのとあまり変わらず
田舎の親戚と田舎の言葉で遊んだなあという気分にはなれない
お年玉もない
子どもがいろいろなことを経験する分、親は気を遣う
そこを簡単にしたくてホテルにいるので、
まあ、仕方がないと言えば、仕方がない
ハワイ組とかホテル組の金持ちの子どもはいいなあという気持ちと
それでもやはり田舎に行っておばあちゃんのお雑煮とか食べる方が何となく正月の体験として
しみこむありがたいもののような気持ちとがある
特に最近はたとえば、親戚の何とかという人が偉くなったんだってとか、
そんな話の時に具体的にイメージがわくなら話も楽しいだろう
また逆に誰かが倒産して借金を申し込んできたけれど断ったんだとか
そんな話も、一層生々しく学習できるだろう
実際は、あんな穏やかな人が、今回はそんな粗暴な行為に及んだとか、そんなことが語られるのが家庭である
ーー
お正月に食べたものを考えてみると
野菜はゼロだ
にんじん、ジャガイモ、タマネギ、生姜、ニンニクは、かろうじてカレーライスを作ったので、食べた
あとは納豆と豆腐とうどんだ
野菜を食べなくて見人間は生きていけるか実験中で
今のところ生きていけている
でも白菜を鍋にしてつつきたいなあ
ひとりでやるのはばかばかしいからやらないけれど