旅行には行けるのに、会社には行けない

旅行には行けるのに、会社には行けない (ダイヤモンド・オンラインより)
大人の「引きこもり」が急増中!
 都心のIT企業に勤めていた30代のニシさん(仮名)は、ある日を境に突然、出勤しなくなった。
 都内の私鉄沿線のごく普通の家庭で生まれ、両親と同居していたニシさんは、1人っ子で独身。会社に行こうとしないニシさんに、母親が理由を聞くと、一言だけ、こう漏らした。
 「もう疲れた…」
 IT産業が時流に乗り、「ヒルズ族」という言葉がもてはやされた時代だ。職場では連日、終電で家にも帰れないほど働いた。が、いつものように1人で職場に残り、残業していた深夜、ニシさんの耳には、パチンと緊張の糸が切れたような音が聞こえたという。
 以来、ニシさんは5年にわたり、家から外に出なくなった。そして、会社に辞表を出すこともないまま、退職していった。
 それまでは給料を使う暇もなく働き続けてきたので、会社を辞めても、しばらく貯金だけで暮らしていけた。家では、好きなインターネットやゲームにのめり込んだ。
「真面目でこだわりが強いタイプなのに、なぜ?」
と、周囲は首を傾げる。
スピード感の求められる仕事についていけず「引きこもり」へ
 自立したはずの社会人がある朝、突然「起きられない」「会社に行こうにも、家から出られない」――そんな“オトナの引きこもり”が、水面下で深刻化している。
 大手メーカーに勤めるミウラさん(仮名)は、すでに会社を1年半以上、休職している。まもなく40歳を迎えようとしている働き盛りの年代だ。
 ミウラさんは「眠れない」日々が続いたことによって、朝、起きられなくなり、会社に出勤できなくなった。
 会社の健康相談室がミウラさんを呼んで、休み始めた理由を聞いた。ミウラさんによると、上司が「毎日、業務日誌を書け!」などとうるさい。そのうち、上司のネチネチと細かい性格に嫌悪感を抱いた。すぐ感情的になって怒りだすようなところも我慢できなかったという。
 「こういう上司の元では、働けない」
と、ミウラさんは訴えた。
 しかし、健康相談室では、ミウラさんに精神科の医師を紹介。診てもらったところ、「うつ病」と診断され、抗うつ剤や睡眠導入剤などを処方された。
 会社の人事部は、「うつ病」ということで、ミウラさんを休職扱いにした。ただ、薬を飲んでも、特段の効果は表れなかったという。
 独身のミウラさんは、東京郊外の実家で暮らしていた。といっても、ずっと家に引きこもっているわけではない。気が向くと、アフリカや南米などにも、ふらりと1人で旅に出かけた。旅先では、人が違ったように生き生きとしている。そんな行動力はあるのに、会社に出勤できないのも不思議だった。
 その後、産業カウンセラーがミウラさんの面接を続けた結果、わかってきたことがある。ミウラさんは、これまで研究者として、5~6年かけて1つの研究を行い、提案してきた。ところが、ミウラさんはその後、開発部に異動。新しい部署では、半年くらいの短いスパンで、絶えず新しいものを開発することを求められたのだ。
 ここ最近、企業は合理化対策の一環で、研究部と開発部を統廃合し、商品開発を早く回転させていこうという流れになっていた。割安で良質なモノを求める消費者のニーズに合わせて、次々と新商品を打ち出していかなければ、企業間の激しい競争に負けてしまうからだ。昔のように、長年研究したものを発表して成果を出せばいいという古き良き時代は、とっくに終わっていたのだ。
 産業カウンセラーは、ミウラさんの置かれた背景をこう説明する。
「激しい競争によって、企業の合理化の流れに乗れなかった人たちが、会社を離脱していき、オトナの引きこもりの一端を担う根底にあるのではないか」
きっかけは些細な出来事 完璧主義者ほど陥りやすい現実
 「足が痛い」――大手通信企業に勤める40代のクドウさん(仮名)が、最初に異変に気づいたのは、そんな肉体的な苦痛だった。その頃から、朝、目が覚めても、体がだるくて、起きられなくなった。
 元々、不眠の症状も続いていて、やがて出勤できなくなった。以来、1年以上にわたって会社を休んでいる。
 きっかけは「些細」なことだ。上司の課長が、本来仕事に使うべき予算を使い、適当な名目をつけて、不必要な備品などを買いあさっていた。クドウさんは持ち前の正義感から、そんな不正がどうしても許せなかったという。
 「こういう予算の使い方は、おかしいのではないか」
と、クドウさんは、課長に指摘した。
 課長は「わかった。部長とも話し合おう」と答え、3人で話し合いの場を持つことになった。しかし、逆に部長から、意外な指示を受ける。
 「クドウ君は、被害妄想的なんじゃないか?どうも体の調子も悪そうだね。医務室で診てもらいなさい」
 クドウさんが会社の医務室に行くと、外部の精神科へ行くよう促された。しかし、精神科の医師が検査しても、統合失調症の症状はなく、どこも異常がない。
 ただ、医師は「足の痛みは、精神的な問題から来るのではないか」と診断。医師の診断書も出たので、会社は休職扱いとなった。
 クドウさんは、結婚していて、妻と小さな子供が1人いる。専業主婦の妻は心配するものの、彼は働きに出ようとしない。家で時々、子供と散歩したり、公園で子供とバスケットボールで遊んだりする以外は、基本的に引きこもりがちになった。
 昼は、近所の視線への後ろめたさで、つい外出をためらった。しかし、夜になると、安心感から活動を始める。やがて、深夜はずっと起き続けるようになった。社会を離脱した男性が昼間、家から出られなくなり、昼夜逆転生活の深みにはまるパターンである。男性の引きこもりが女性より多くなる所以だ。
 「きちんと対応していてくれれば、こんなことにはならなかったはずなのに…」
クドウさんは、2人の上司をいまも恨み続けているという。
 「共通するのは、上司との関係がこじれたときに、うまく修復できないタイプの人たちです。プライドの高い完璧主義者が多い。折り合いが付けられないため、なかなか復職もできなくなるんです」
引きこもる事態が長引く理由を産業カウンセラーは分析する。
 持ち前の正義感が仇になり、傷つけられ、心の中で恨みが疼
く。クドウさんに似たような引きこもりの人を何人か見てきた。周囲に誰か1人でも寄り添って、アドバイスやサポートができていれば、その疼きは消化できていたのかもしれない。
増え続ける40~50代の「引きこもり」を救う術はあるのか
 これまで、「親の甘やかしすぎだ」などと言われたり、怠け者扱いされたり、「ニート」の中に一緒くたにされたりしてきた引きこもり。しかし、彼らはなぜ体が動かなくなるのか。なぜ外に出られなくなるのか。朝、起きたくないと思っても、毎日、会社に出かけられる人たちとどこが違うのか。そのメカニズムの解明や実態の把握すら進まないまま、引きこもるオトナたちの長期化、高齢化は、着実に進んでいる。
 支援機関や親の会などへの相談でも、最近目につくのは、40~50代で家に引きこもっているケースだという。
 定年で年金生活を迎え、これまでのように子どもを養うことのできなくなった両親が、将来の生活を悲観し、行政の「ニート支援」を掲げる相談機関に行っても、「概ね30代までなんで…」などと言われ、タライ回しのようにされる。「ニート対策」事業は、あくまで「若年者支援」であり、引きこもり支援ではない。
 40代の引きこもりの息子を抱える70代の母親は、こう言った。
「もう社会に出てほしいとは言わない。でも、このままでは死に切れない」
 「100年に1度」といわれる未曾有の不景気で、働きたいという意欲があっても仕事に就けない時代。ようやくコンビニやファーストフードの店員などでバイトを続けていても、「コマのようにギリギリの状態で働いているうちに、仕事に矛盾などを感じて、つい口にしてしまった」などという話も聞く。そうなると、年齢が年齢だけに、再契約を結ぶのも難しい。
 様々な原因で、一旦社会を離脱し、履歴に長い空白期間を抱え込んでしまった引きこもりの人たち。これから先、誰がどのようにして、彼らに生活していく術をサポートしていくのだろうか。