認知療法

現場にいる感覚では

やはり認知療法は大切である
ーー
昔、先輩に、自由意志はないとの話をしたら、
怪訝な顔をされた
そしてだっていま自分が自由意志で動いていることは否定できないでしょう
と語る
そうじゃないんだ
諸条件が決定されて、そこに脳の内容が決定されれば、あとは多少の偶然があるだけで
(たとえばそのとき血圧が低かったとか、血糖が高かったとか)
自由意志はないじゃないですか
と当たり前のことを言うが理解してもらえない
では自由意志とは何かを説明すると言うことになると
また途方に話が長くなる
しかし科学が進歩して
長い時間のうちには自由意志という言葉の内容も変化していくのだろうと思う
ーー
それはそうとして、自由意志はないのだから
諸条件と脳の状態が問題である
脳の状態を測るのは結構大変なのだが
われわれはいろいろな患者さんに対してだいたい似たような設定で似たような話をする
そのときに患者さんの理解や反応がずいぶん違う
それはその人の人生を映したもので自然とも言えるけれど
好き嫌いではなくて
正しく理解して欲しいこともあるので
人それぞれで片付けるわけにも行かない
ーー
よく例に出されるのは
コップに水が半分入っているとして
まだ半分あると余裕で構えるか
あと半分しか入っていないと焦るか
外部の条件は同じなのに
脳の内容が違うので
このような違いが出る
だから
脳の内容について
すこしだけ
調整しようと考え始める
数学の問題で正解が出せるようにするのに似ている
ーー
自分の夫が女性にもてるという場合
嫉妬して機嫌を悪くする妻もいるし
こんないい人を夫にして得をしたと思う妻もいるだろう
受け取り方次第である
ーー
物事の「認知」と言うわけであるが
分かったような分からないような言葉だ
cognitionであるが
要するにものの受け取り方、理解の仕方、感じ方と言ったようなものをいう
脳の働きの一部なのだが
例えば作曲をするとかそんな積極的な能力ではなくて
どちらかと言えば受け身に物事を受けとめる場合の受け止め方である
諸条件に接して、脳がどう反応するか、ということ
その脳の反応には様々な深さがある
100回繰り返しても同じ反応をすると言うくらい根深いものもあるし
出現確率1/2程度のものもある
ーー
とりあえず私は人間の脳の中に
「自動反応機械」部分と
「自由意志発生・世界モデル」部分とを考えているので
認知療法がどちらの部分に作用させる意図のものなのか
注意している
ーー
葛藤というものは
自動反応機械の内部でも
世界モデル内部でも生じるが
世界モデルと自動反応機械の間でも生じるわけで
そのばあいはなかなか難しい
ーー
世界モデルはいま現在の世界の転写ではなくて
その人がいままで生きてきた世界の総和の転写である
世界モデルがずれていても
それには理由があるのだ