目の前に私はうつだと思うと語る患者さんが現れる
そうかも知れませんねといって診察をして診断にたどり着くのであるが
30歳前のサラリーマンや20歳くらいの大学生が現れたとき
DSM、SDS、HAM-Dなどで評価したとして、
現在はうつ状態を呈しているとまでは言えるがそこまでだ
そのうつ状態がはたして躁うつ病の一部分症状としてのうつ状態なのか
うつ病の症状として考えた方がいいのか
統合失調症の一部分としてのうつ状態なのか
あるいは
人格障害の一部分としてのうつ状態なのか
鑑別しなければならない
あるいは正常反応としてのうつ状態もある
当然
現在症だけでは決定できない
経過を参考にすることになる
それは
過去のどのような経験があるか
そして
病前性格はどうか
などであるが
それを聞くなら経過診断になってしまう
経過診断は
結局長い経過を見てからでなくては判断できないはずのもので
しかも従来の経過から判断する疾病分類は解体されたかに見える現状なのである
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うつ状態をうつ病の症状なのか
あるいは
正常反応としてのうつ状態なのか
さらには
その両方の要素があって、半分程度は正常反応としてのうつ状態であるが
それだけでは説明できない部分があり
それはやはりうつ病の症状として理解した方がいいだろうとか
微妙な話になる
しかし治療としては同じなので
実践面では特に問題はないのであるが
知的には割り切れなさが残る
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経過診断や病前性格診断によらず
現在症から疾病分類をしたいという思想はよくわかる
そうでありたいし、そうであるべきだ
しかし現在症診断は挫折しているし
経過診断も
病前性格診断も正確には破綻しているのである
長期経過を予言することはできないし
長期経過によって疾病分類をすることもできない
正確に言えば
長期経過によって特徴付けられる疾病の一群があるだろうとは思うが
どの一群であるか分かっていない
従来言われていた分類は不十分で不正確であったことはすでに判明しているように思う
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不正確ではあるが
話を簡単にして言えば
昔は統合失調症と躁うつ病とてんかんが対比的に考えられて
同一平面を三分して、それぞれの特徴が言われたものだ
てんかんが抜けて
二大精神疾患になり
統合失調症と躁うつ病が対比されて
両極のものとして把握された
病前性格の点でも、また長期経過の点でも、そうである
しかし現在はそのような統計的データは乏しいと考えられている
知性・認知の病と感情の病と分類されたとして、
その分類は人間の作った分類であって
脳の仕組みがその分類に従っている保証も理由もない
むしろ、それぞれは甲状腺の病気と副腎皮質の病気のように大体は独立のもので
時に同時に起こる場合がある
程度の把握が妥当だろうと最近は考えられているようでもある
その背景としては
統合失調症とは何かとかうつ病とはなにかとか
その概念の輪郭自体が変質しつつあることが挙げられる
このあたりは難しくて
疾病の輪郭を限定したい、そのためのデータ集積がDSMの最初の志なのだけれど
途中までやって分類を変更したりして
なかなかすっきりしない
たとえば妄想状態の場合でも
拘禁反応のように反応性に起こるわけで
ある種の感覚の間違いが系統的に起こった場合には拘禁反応と似た状況になり
妄想でさえ了解可能な反応性のものと把握出来る場合もないではない
昔は
病態レベル診断として
神経症レベルと精神病レベルの対比が言われたりした
現実把握が間違っているものが精神病レベルである
神経症レベルの場合には現実把握は間違いがない
神経症は現実把握は正しいが、その認知に対しての反応が間違っているという系統の考えになるだろう
神経症という言葉の一面はもちろんフロイト以来の精神分析でいう神経症の意味であって
防衛機制の種類によって精神病と神経症の分類がされていて
そこから現実把握の程度によって分類するとの考えが出てきたと思う
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いずれにしても
肝心なのは
うつ状態を呈してはいるが
本質的に統合失調症であると診断して
ドパミン系の薬を始めるについて
必要十分な判断基準は何かということだ
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その判断基準として
経過や病前性格を持ち出すのは先祖返りである
私のような古い精神科医が経過と病前性格と遺伝因子によって診断するのはいいだろうと思うが
若い人はあくまでも現在症による鑑別にチャレンジして欲しいものだと思う