乳児の頃の全能感がどのようにして形成されて
脱全能感化されかについて
ここしばらくの間の精神分析家が
非常に難しい議論を積み上げていて
コフートとかカーンバーグとかウィニコットとか
読み終わる頃にはこちらの人生が終わりそうなのであるが
全部を理解しないでも
ネット社会での自己愛化につながる部分だけでも
うまく描けないかと思う
乳児の頃に母親が全能感を満たしてくれるという前提も、
そのまま成立する場合もあるが
そうでない場合もある。
泣いてもオッパイもくれないし、母親の気分次第でしかオッパイをくれないとかなると、
全能感どころではない。
理論によればそのような欠損を満たすためにも
全能感を発達させるのだという。
補償的全能感である。……(1)
幸運にも母親が全能感を満たしてくれた場合でも、
次の子が生まれたり、あるいは成長すれば自然に、
ある時点では母親が自分の全能感をサポートしてくれるシステムは続かなくなる。
続かなくなったときに母親とか周囲の人に甘える方法や妥協する方法を覚える。
それとともに自分はヘルプレスつまり無力で寄る辺ない存在であると自覚するし
現実の自分は仲間の中にいて特に目立つ方でもないと知ることになるし、
そのようにして現実的な自己像を受けいれる。……(2)
さてどちらの場合でも、早くからメディアに接触しているし、ゲームなども始めるようになる。
特に(1)の、母親の援助が満たされないケースでは、
メディアがばあや代わりということもある。
泣いているから、テレビを見せるとかいうような具合になると
子どもは本来の満足を与えられず、全能感の幻想も与えられず、
なんだか躁状態ではしゃいでいる画面で欲求を忘れてしまうのだろう。
一時的な麻酔のようなものだ。
麻酔はもちろん発達を停止させる。
ゲームについても、脳の発達を促すわけではなくて、
後頭葉が興奮するだけで他の部分については活動停止しているといわれる。
そんな様子で(1)の場合にはかなり早期からメディア漬けになるようだ。
(2)の場合にも、寄る辺ない自分をとりあえず支えてくれるものは
やはりメディアである。
どちらの場合も、メディアは現実の自分の小ささを教えるものではなく、
その逆で、全能感と躁状態のファンタジーを注入してくれる。
麻酔が切れるとつらいのでずっと切れないようにする。
すると親としてはおとなしくて手のかからないいい子だという印象を持つ。
メディアにはもちろん教育機能があるので、
主にコマーシャルを通じていろいろな言葉やイメージが頭に刷り込まれる。
このようにして将来の消費生活者が誕生する。
カタログを眺めていれば一日でも飽きない人たちである。
母親→メディア→消費生活 というバトンタッチが強力にできていて
もはやそのコースを拒否するのは難しいくらいである。
母由来の幻想的全能感が打ち消されてしまう前にメディアが保持する。
テレビ・ビデオからネット・携帯に移ってしまうと、そこから先はまた
幻想的全能感が与えられる。
そのようにして青年期を通じて全能感は保持され、
現実的ではない自己イメージをどこかに隠し持って生活が続く。
入社するとそこは現実を突きつけられる場所で、
不適応が明らかになる。