どんな人にもいいところがある

人にもものにもいいところがひとつくらいはあるものだから

いいとこ探しをしてみよう
ケチは計画性があるということなのだし
背の低い人は省エネルギーなのだし
背が高ければマジックハンドの代わりになる
それらはみな意味付けの問題で
多様な解釈が常に可能である
可能であるのに
多様な解釈を拒否するのは進んで不幸を選択するようなものだ
人をうとんじたりする前に
自分の解釈の狭さを反省した方がいい
その場合不幸の原因は他人ではなく自分である
どんな人にもいいところがある
自分に辛く当たる人のいいところなんて見つけられないし
用もないと思うだろうが
それも辛抱だ
古い日本茶といえばよくないが
新しい烏龍茶といえば悪くない
で、いま、なんだかよく分からない茶を飲んでいる