集団的に統合失調症だったとしたら

統合失調症の妄想は

了解不能で説得不可能な固い信念ということになるけれど
客観的に正しいかどうかは問われていないわけです
ということは
みんなが妄想を共有したらどうなるかという話になります
予想されるように
もちろん、みんなで妄想を共有しているときは,その妄想を共有しない人が、統合失調症になるわけです
「どんなに説得しても,変な考えを変えないんだ」と嘆かれることになります
ですから
正しく考える知性なのではなくて
みんなと同じように考える傾向でしかないわけですね
このような同調性を強く持つ集団と
異質性を広く許容する集団とがあって
違いの分析になるのですが
考えてみれば
異質であることを許容するという思想を強く強制している文化とも言えるわけで
簡単ではないんですね
ーー
大集団の中で自分だけ違う考えというのは
なかなか悩むところですが
これが夫婦になると全然違うわけです
たった二人ですから
多数決をしても決着はつかないわけです
ですから
夫婦間での話は、どちらが問題なのかと言い出すといろいろ難しい
それで世間では夫婦間のことは特別に「痴話喧嘩」と名づけてなるべく他人は触らないようにしているわけです
大抵は社会的不適応が明らかになるので周囲にも事情はわかるのですが
なかには妄想性人格障害とかパラノイアとかと名付けられるケースがあります
(この場合の特定の仕方は厳密ではありません)
夫婦間でだけ異常なのですが
それ以外の人たちに接するときは異常を露見させないわけです
また子供に対するときだけ異常という人もいます
この場合、子供が自分の親が異常だと気づくには
学校に行ったり、付き合いが拡大していくまで待たないといけませんから
相当に時間がかかります
なかなかややこしいことになるわけです
ーー
他人全般に対して普通らしく振舞う能力があるのなら
夫婦間でも親子間でも
一時的に普通らしく振舞う能力があるだろうと予想しますが
どうやらそうではないようです
なぜなのか、分かりません