原因不明の身体愁訴に関して
心理療法的アプローチが有効なことがあり
なぜなのか分かっていない
言葉に治癒力があるのか
それは人間の脳の認知能力や感情に影響を与えるのか
あるいは人格的接触が重要なのか
当然のことながら両方の要素が大切という解答もある
身体愁訴を解決する心理療法と
心理的愁訴を解決する心理療法は
同等な関係にあるのかも問題である
心理的な問題だから薬は効かないはず、心理療法がいいとかの意見は
最近は少数派だけれど
おばあちゃんの代から引き継がれている考え方だろう
この考えでは膝の痛みには心理療法は効かないはずだけれど
そんなこともない
心の問題には心理療法と素朴に考えて
どの程度まで妥当なのかよく分からない
膝が痛いのと心が痛むのと
違うようでもあるし同じようでもあるし
痛みを感じているのは「心」なのであるから
心と独立に純粋に膝の痛みが存在するわけではない
だからいつでも心理療法は有効なんだと考えることはできる
そこまでは当然としても
だから同じ心理療法でいいのかどうか問題は残る
痛いと感じている主体は常に存在する
痛みにアプローチするか
感じる主体にアプローチするか
どちらも有効なのだ
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昔から念仏とかマントラとか呪文とか
言葉の霊力は信じられてきた
それは錯誤ではなくて
たしかに何かの力を持つと思う
しかし測定も難しいし科学のレベルではない
科学を原理的に拒む何かがあるのだと
これも昔から立論されてきた
そのたびに論は破られてきたのだけれど
まだ「心の特有の領域」論は根強い
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痛いと感じている主体を構成しているのは言葉であるというタイプの立論も
どの時代にも根強くある
痛覚や温覚については
客観的に測定可能な神経伝達であり
いろいろな動物も痛覚や温覚があることは確実なので
言葉がはじめて感覚を構成するわけではない
そこまでは当然なのだけれど
では猫は心理的原因の痛みを持っているかとの疑問がある
動物もストレスが原因とされる身体症状を呈するのでメカニズムは同じだと思うが
その場合もストレスがどのような経路で症状を構成しているのか不明なので
なんとも言えない
たとえば
慢性持続性のストレスが免疫系に影響を与えてウィルス活性が高まりその結果として痛みが発生するとか
円形脱毛症が発生するとか
いろいろなメカニズムが考えられるの
それらのことはひとまず置くとして
やはり心理療法の態度として言葉の網の目のあり方に介入するのは妥当な王道だろうと思う
心を治療するというよりも
言葉の網の目を治療する
言葉の網の目が破れていたり
歪んでいたりするのだから
そこに介入する
言葉の網の目の構造変化が
病気によって生じている場合もあるし
体験によって生じている場合もある
そのような次元での
心の治療は心で
というのは理解しやすい話だ