多様な壊れ方をしない理由

人間の体も精神ももっと多様な壊れ方をしているはずであるが

人間の側の認識としては医学に登録されている程度の壊れ方しかないことになる
人体の細胞の一個一個について
壊れ方の定義をして
さらに細胞同士の関係の壊れ方を定義してというようにすれば
ずいぶんと多様な壊れ方をしているはずである
それなのに端的に被害妄想とか被害的幻聴とかうつ状態とかになるのは大変不思議なことだ
たとえばの話
東京から鹿児島に行きたい人が行けなかったとして
飛行機の不具合も新幹線の不具合もフェリーの不具合も全部込みにして
結局「鹿児島に行けなかった」と感じて、記述しているようなものだ
ニューヨークに電話が通じないとき
電話局が壊れているのか途中の回線が遮断されているのか分からず
結局のところ話ができないとだけ感じている
アメリカで一時期、心理職が幼児期虐待によるPTSDを乱発したことがあったらしいが
同じことが大規模に起こっている可能性もある
すべては暫定的だと考える