今日コンピュータ屋さんと話していて
耳の聞こえにくい人はコンピュータが発達してずいぶん助かっているそうだ
昔は電話しかなくて困ったものだけれど
最近はメールも自由だし目で補える部分が増えているという
電車に乗っていると隣の人が大音量で何か聞いていたりする
こんな人たちがこの習慣を続けているとたぶん耳の聞こえが悪くなるけれど
そのころにはもっと便利になっているのだろうと思う
耳の悪い人と目の悪い人は単に情報のいりぐちが狭いとか限定されている点で共通とは言えないだろう
幻聴と幻視がまったく対応しない症状であるところから考えて
また人間は目はつむるけれど耳は閉じないことから考えて
ずいぶんと違う次元のことなのだろうと思う
症状としては幻聴の方が圧倒的に多いのだけれど
たしかに一部の人は
「頭の中に二行くらいの短い文章が挿入されるんです」と語る
これは幻視でもないし幻聴でもないし
考えがワープロの文字みたいになって映像として浮かんで消えるらしい
このあたりは時代とともに動いていく症状なのだと思われる
幻聴と幻視とを対比させて
感覚モードの特徴などと考えているが
そんなことはないのかもしれない
単にそういう習慣だったからということの可能性もある
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電車では圧倒的に「ただ眺めている」「ただ聞いている」「受動的な」人が多い
もっとメモをとる人が多くてもいいはずだと思うがどうだろう
メモをとらないと思いついたことを忘れてしまうではないか
それは苦痛ではないのだろうか
何も思いつかないのだろうか