『マルコヴィッチの穴』『エターナル・サンシャイン』など、風変わりというか難解で、不思議な作品を作り出しているスパイク・ジョーンズ(製作)とチャーリー・カウフマン(初監督)の共同作業の最新版。原題は『SYNECDOCHE,NEW YORK』である。“SYNECDOCHE”とは聞き慣れない単語だが「部分が全体を表すような比喩表現」という意味。“ワッパ”や“車”で自動車という意味になるようなものである。
主人公のケイデン・コタード(フィリップ・シーモア・ホフマン)は劇作家としてあるが、演出家というほうが正しいのではないか。映画の冒頭、たぶんアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を上演している劇場の客席に彼がいる場面があるが、これは彼の演出によるものらしい。いまどき、演劇学校の授業ぐらいでしか見かけない『セールスマンの死』を演目に選ぶということからして時代に取り残されている、ということなのだろうか。
この映画はふとしたことから大金を得たスランプ中の演出家(演出しかしていないので、こう書くが)が自分の人生をまるごと芝居にするという、とんでもないプロジェクトを立ち上げたことからはじまる。
それは、実物大のマンハッタンの舞台装置を造り、自分がこれまで出会った人物の全てが登場人物となる演劇だ。人生において端役はいない、という演劇論から街角ですれ違っただけのひとにもきちんとした演技を要求する。登場人物の数も当然、膨大なものになり、何時、果てるともしれない稽古が続く。本番の舞台の幕が上がることはついにないのではないか。無限とも思われた資金も底をつくころ、物語が終盤に近づき、彼の人生そのものも終わりを迎えようとしていた。
精神分析の世界にしか現れないような特殊で抽象的な症例を具体的に映像にしてしまうというのが彼らの得意技だ。 ここにあるのは現代人の精神世界の縮図でもあるのだろう。結局、ひとは自分の人生を演じているだけなのかもしれない。
映画「脳内ニューヨーク」
山口正介の電脳的銀幕論より
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なるほど
『マルコヴィッチの穴』はとても興味深かった
これも観るつもり