歌舞伎 頼朝の死

深夜にテレビをつけたら

歌舞伎が放映されている
舞台の様子に見覚えがあるので
眺めていたら
頼朝の死だ
実際に歌舞伎座で見たことがある
風呂に入りたかったのでビデオ録画しようとしたら
録画機の電源コードがない
もうずっとビデオというものを使っていなかったのだった
頼朝が小周防(こすおう)を求めて深夜女装してお城の築垣を乗り越えようとしたところ
不審人物として重保に斬られた
なんていうのが始まりで、それは将軍の死としてはよくないことで、隠そうとして、
結果として息子の頼家が苦しむという話

風呂から上ったら歌舞伎「一休」が始まっていた

歌舞伎座が改築されるというので何度も報道があった
いったい誰にどれだけの重みのあるニュースなのか全く理解に苦しむが
放送局にとってはニュースなのだろう

正直言って歌舞伎は初心者に分かりやすいものではなくて
ある程度の時間とお金を投資しないと分からない仕組みになっていると思う

日本文化の大抵はこの性質がある

古文でも俳句でも短歌でも分かりやすくはないだろう

電源コードを探してみたが
やたらに電話関係のコードがあった

最近は無線で済んでしまうので有線は人気がない
個人的には無線は信用できないしセキュリティもどうかと思う方なので
有線を優先している
会社でもPCにはしつこく線をつないでいる
電源コードを省略できないのだからたいして変わりはないと思うが
どうだろう

先日はソフトバンクの孫氏がインフラ整備としての光ファイバーとか言ったらしくて
いまさらなんだ、無線でいいじゃないかと反論されていたように思う

昔の電電公社の黒電話はたしかにセキュリティの高いインフラだった
電電公社が独自に電源を供給していて、12ボルトの電圧を常に保っていたらしい
だから地震や台風で停電しても黒電話は平気で通じていたらしい
そのことは日本独自らしくて海外の電話会社の参入を阻んでいたという

現代だと人のまばらにしか住まない地域に有線を張り巡らすのは無駄というものだ
無線でいいらしい
無線セキュリティも原理的にはかなり強固なもので心配はないらしい

専門の人の説明を聞くと納得してしまうが
すぐに忘れる

iPadはどうかと言われても
そんなものを持ち運ぶとも思えない
会社でも自宅でもPCでいいのだし
そんなに長時間外出もしない
外出するときは用
があるのでiPadを見ているとも思わない

ただ、雑誌などをささっとチェックするとき
PCでは見られないiPadの独自コンテンツなどがあれば欲しなるかもしれない
そうとも思えないのでやはり保守的な考えだ

人間はinputに忙しければoutputができなくなるし
outputを維持したいと思えば一時期はinputを削減した方がいいような気がする

特に英語の情報をチェックし始めるときりがなく時間がかかる
英語でoutputするのはなおさら難しい

そう考えて
歌舞伎の世界くらい狭い場所がなんとなく心地よくも思えてくる
ひきこもり、閉じこもりは日本人的な特技かとも思える

ソニーが一時、コンテンツとしての歌舞伎を取り上げたことがあった
誰でもコスプレでカラオケの時代に歌舞伎の衝撃も今一つらしい