何かを学ぼうとして本を読む
本を書く人はどんな人かと考えると
たぶん躁的な人だと思うので
本を読んでいて躁状態に引っ張られるのだと思う
インタビューで
僕は毎朝4時半に起きているから、次々に本ができちゃうんですよ(笑)。
と語っていて、もちろん4時半に目が覚めるだけでは本はできないので
切れ切れでまとまりのない躁状態ではないはずだ
傾向として根底に躁状態の傾向があれば
書く文章の内容にも自然にその傾向は反映されるだろうと思う
そしてここ当分の長い文化人の伝統があり
それはやはり躁状態だったと思う
プロダクティブになること
アルコールを飲むこと
ホテルに缶詰になって締め切りに間に合わせること
オタクといわれる人の中にも
社交性はないけれど根本的には躁的という人もいるのだと思う
ーー
収入の構造で考えると
何か定職を持たないと不安定だろう
教育職に就いている人は
日々の教育で話していることや資料を作ることが多くて
それをまとめると本ができる
学生の教材としても使える
しかし教材以外に本を出版するとなると
それなりに時間もかかりエネルギーも必要になる
それができるのは程度の差はあっても躁状態が背景にあることが多いだろう
主観のあまり入らない文章ならば
躁状態でもそうでなくてもあまり関係はないと思うが
たとえば病気の分類とか動物の飼育の仕方とか
生き方とか経済政策とか
どの程度かは別にして主観を綴る文章になると
躁状態がかなり影響すると思う
その結果として
本を読むことが著者の躁状態に引きずられることになるのかもしれない
本でなくてもブログなどで非常に多産的な場合は
その人の背景に躁状態があるのかもしれないと
あらかじめ引き算をして考えておいた方がいいのかもしれない
掲示板などでも積極的に書き込む気力があるのは
躁状態が関係しているのではないかとまず思う
うつ状態ではできないことだと思う
ーー
20代の十年を閉じこもりがちで過ごし
自分の得意な領域にたっぷり時間をかけたとして
十年後に時代が偶然に求めたとすれば
その十年が生きることになる
しかしそれはやはり偶然だろうと思う