煎じ詰めて言えば、人生は不幸の連鎖である。
豪華ホテルに招待されて無邪気に喜ぶシーンがある。
わたしはそんなとき素直に喜べないのだが、それは天邪鬼というものらしい。
人生の不幸の連鎖は、人生における新しい自由な選択を妨げる。
仕方がない。
そのときそのときは、不真面目なのではない。
しかし全体としてみれば、やはり慎重さが足りないのだった。
教訓は、慎重であれ、ということになる。
向こう見ずに突っ走る、
その結果、周囲の人を巻き込んで、大きな不幸をもたらす。
その繰り返しだと非難される。
その通りなのである。しかしどうしようもないのだ。
そのときそのときは充分に誠実なのだから。
一つの不幸が次の不幸を準備している。
何という冷たいそして何という重い真実だろう。
もう生きているのがいやになる。
ドラマで幾人かの人生を見る。
現実の人生で自分の人生を見る。
比較して相対化する。
相対化してすこしだけ肩の荷が軽くなる。
そうでありたい。
その場を切り抜けるためには仕方のない選択であった。
しかしそのことが次の不幸をもたらす。
その悪循環から抜けられないのだ。