アイデンティティ人間の死に方

死に際しては
やはりアイデンティティ人間が強い。

自己愛型人間は自分を超える何かに頼らないので、
死ぬとなれば、むき出しの個体の死があるだけで、
それでおしまいなのだ。

アイデンティティ人間の場合には、
国家だったり宗教だったりイデオロギーだったりで、
殉教したり、自爆テロをしたり、
その場合にも、自分の死は意味がある、役に立つと、
少なくとも自分自身は信じて死んでゆく場合がある。

死ぬことをむしろアイデンティティに殉ずる最大の機会として利用する場合がある。
そのような、納得できる、盛大な死に比較して、
自己愛型人間の死は無意味なのである。

しかしアイデンティティ人間に巻き込まれて
無意味以下の悲惨な死に方をするよりはずっといいというのが
おおかたの見方である。

おかしな意味づけをすることなく、
静かに個人のままで、
過不足のない等身大の死を死ぬ。
そこの時間を安らかに通過するにはどうすればよいものかと思う。
倉本聰は家族の絆を原理として描いている。