「君たちはどう生きるか」吉野源三郎

暑くて何も頭に入らないし
町田康で錯乱した頭にオーダーを回復したかったので
本箱の中にある吉野源三郎「君たちはどう生きるか」を読む
つるつると読めて楽しかった
吉野源三郎は、岩波少年文庫の創設に尽力し、巻末に「岩波少年文庫発刊に際して」(昭和25年)を載せた。
「一物も残さず焼きはらわれた街に、草が萌え出し、いためつけられた街路樹からも、若々しい枝が空に向って伸びていった。戦後、いたるところに見た草木のあのめざましい姿は、私たちに、いま何を大切にし、何に期待すべきかを教える。未曾有の崩壊を経て、まだ立ちなおらない今日の日本に、少年期を過ごしつつある人々こそ、私たちの社会にとって、正にあのみずみずしい草の葉であり、若々しい枝である。」
巻末に吉野源三郎「作品について」と丸山真男「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想――吉野さんの霊に捧げる――」が収録
丸山真男は多少興奮しているのか
たったこれだけの文章を
マルクスの話に結びつけていて
まあ、書いた人と状況を踏まえれば
そのくらいの解説がいいのかもしれないが
しかしそれはいかにもロールシャッハ的だと考える
この本の初版が刊行される1ヶ月前、1937年昭和12年7月に盧溝橋事件が起こり
日本は戦争に突き進む
以後8年狂気の時間が刻まれる
銀行の頭取のお坊ちゃんとか高輪の高台に邸宅を構える社長の子供とか
ハイソな感じで
こういう中に太宰治なんかが田舎から出てきたらやっぱりひねくれるだろうと思う
仕方ないなぁと思う
貧乏に関しての記述も
当時は東北の寒村で間引きやら娘の身売りやらで悲惨な貧乏があったわけだが
ここではせいぜい自営の豆腐屋が貧乏だという具合で
いかにも岩波「世界」の編集長殿である
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読んでいていくつかの感想が浮かぶ
また昔は強く思わなかった部分が印象に残ったりもする
昔と今との差分が私の生きた結果なのだろう
メモしようとして
メモもけだるく
午後になって忙しくなったのでメモの内容も忘れた
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主観が客体を見つめていて
その全体を向こうのビルの窓から、背進した主観が見つめ
その全体をさらに上方後方から主観が見つめ
さらにその全体を・・・というような構図は
むかしの哲学者が好んだ無限背進である
一人称を三人称に置換して語ると、しかしそこにはやはり一人称が残るので
さらに三人称に置換して、やはり語る以上は一人称が残り、
その操作は数学の無限操作のように定義されて
矛盾はないように見える
→∞
矛盾はないと信じれば客観的事実の成立であるが
もちろんそれは科学の前提であり
その前提は現代では保護されていないわけだ
厳密な学によれば
この球をどの方向にどの速さで飛ばせば命中するかについては
科学の再現可能性、追試可能性などのレベルでは確認できるように思うが
ポパーの言う反証可能性のレベルまで持っていくとますます確認できるはずなのに
どうしてなのか現代ではますますワケの分からないことを語り続けて商売するひとが多いのだ
主観を無限に客観に置換することで科学が成立するとすれば
精神科学はとても難しい立場に立たされる
主観を客観に置換し果たしてしまえば主観は精神とは言えないものになるのだろう
神経反射の束と言ってもいいものになる
それは要するに同じものだという立場もあり
違うものだとする伝統的な立場もあり
後者が圧倒的に優勢である
しかし
→∞の向こうにしか精神の科学はないのだ
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悪口を言うつもりはなかったのであって
やはりたいしてものだと思う
わたしなら別の流儀で描きたいが
無学なほど何でもほざけるのである