後輩は言うのだが
不思議なことのひとつは
性的探索行動と配偶者決定行動の間に決定的な差があることだという
頭のいいやつは難しいことを簡単に言うんだよと
言ってやると
説明してくれた
ーー
例えば今は夏で露出が増える
そのときにより際どい露出をしてドキドキさせるほうが異性への信号をたくさん出しているわけだし
とりあえず目立つので
性的なターゲットにされやすい
そのことを「異性にもてる」と解釈すると
なんとなく性淘汰の勝者であるかのような感じがする
夏に限らず誘惑的でかつ誘惑に乗りやすいタイプの女性は
性的探索行動の対象になりやすい
ところが夫婦として家を作り家庭を営むとなると
そのような女性は淫乱癖が治らないものなので
安定した家庭を築くには向かないと男性は本能で知っている
そこで配偶者としては選択しないことになる
性的冒険の相手としては適切であっても
家庭の伴侶として生涯の賃金をつぎ込むには適切ではないと考える
そうなると女性としては態度決定が難しいことになる
とりあえず少しは目立たないと性的ターゲットにならない
性的ターゲットにならない限りはその延長としての配偶者選択もない
しかし過剰に性的ターゲットになると配偶者選択の際には不適切として排除されてしまう
ではどのあたりが過剰ではなく、適切なのか、見極めが難しい
淫乱、奔放、適切、貞淑、かたぶつなどの程度が
昔はだいたい決まっていたようなものだと思うが
最近では所属する集団によって顕著な差があるように思う
ただし
そう思うのはいつの時代でもそのようであって
今の時代の特徴ではないとも言われる
ーー
そんなことを言う後輩なのだが
できちゃった婚に関しては
性的探索行動と配偶者決定行動が完全に一致してしまう原始的なタイプの行動で
人間の社会的な側面を全く度外視した行動であって
それならば人間も安心してクジャクのようになれるだろうという
後輩によれば
人間の場合は
クジャクのように振舞えば
性的冒険の相手としては適切だけれど
配偶者選択の対象とはみなされないということになる
特に最近のように(あるいは昔からであるが)、
女性が自分の意志で(あるいは強制されたように見せかけて)、
淫乱に耽るようになると、
性的探索行動にはいい時代なのだが
適切な配偶者を見つけるのがますます困難だと言う
ーー
妹の友達で決まりだなというと
そのへんがいいと自分でも思っていると語る