3億円あっても楽しくなれない理由は、子供が知っている
3億円あっても楽しくなれないのは、楽しさというものの本質が、子供の遊びの中にしかないからだ。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060809/1155111327
株で行き詰まり、女性ともうまくいかず、仕事の悩みも抱えていたこの冬には、鬱に近い精神状態に。気づくと、部屋で50万円分の1万円札を半分に切って鶴を折り、千羽鶴ならぬ百羽鶴を作っていたという。「お札が単なる紙に見えた」と振り返る。
「でも、今は最初に当たったのが、1億8000万円だったと思うことにしています」
大人になっても、人生の楽しさの本質は、無心に遊ぶ子供となんら変わらない。
大人も、楽しくなるためには、子供のように、砂場や積み木や遊び友達が必要なのだ。
しかし、3億円では、砂場も積み木も遊び友達も買えない。
子供用の砂場や積み木は買えるかも知れないが、大人用の砂場や積み木は3億円程度では、手に入れられないのである。
子供たちが、砂場の世界を心から楽しめるのは、それが、子供にとって世界の全てだからだ。
その「全世界」を思うさま駆け回り、気の向くまま、仲間たちと戯れながら、思いつくまま砂山やトンネルや川や池を創造し、心のおもねるまま、世界を創造し、破壊ししていく。それは、一点の曇りもなく、心の底から楽しいことだ。
しかし、それが全世界ではないことを知ってしまった、大人たちの目には、それが、安っぽい子供用の玩具にしか見えない。それは、知識を持たない子供にとっては、本物の世界なのだが、知識を持った大人にとっては、それは、まがいものでしかないのだ。
つまり、大人は、知識の実を食べたために楽園を追放されてしまったアダムとイブなのだ。子供の砂場を永遠に追放されてしまった哀しい存在なのだ。
だから、大人たちは、砂場の外に、大人たちの砂場を見つけなければならない。
そして、荒野をさまよった大人たちが、ついに見つけ出す砂場というのは、多くの場合、社会なのだ。大人が最後に見いだす積み木とは、組織なのだ。
営利企業であれ、NGOのような非営利組織であれ、養護施設であれ、小さな山村であれ、家族であれ、国家であれ、世界政府であれ。
子供が砂山や積み木を積み上げ、無心に、自分が思いつくまま、気の向くまま、作りたいものを自在に作っていくのが心から楽しいように、大人も、思うさま、組織を動かし、社会の中で、自分がこうあって欲しいというものを実現することこそが、真に至福の幸せなのだ。
子供の頃、積み木を使って、自分の思うさま構造物を作り、面白い遊び方を仲間に提案し、みんなで盛り上がることの、なんと楽しかったことか。
大人の喜びも、本質的には、これと何ら変わらない。子供が積み木や砂山やトンネルを作るような無邪気さで、気の向くまま、思うさま、縦横無尽に企画を作り、構想をまとめ上げて、あちこちのキーパーソンを説得し、根回しをしまくって組織の意思決定メカニズムを操作し、利害関係を調整し、プロジェクトを推進し、それを世の中で実現していくこと。
それらを、気の合う仲間たちと力を合わせてやる楽しさ。仲間たちと一喜一憂し、喜びと悲しみと怒りと高揚を分かち合うこと。
そうしたことは、3億円では、買えないのである。
3億円ぐらいじゃ、めちゃくちゃショボイ会社しか買えないし、たとえ会社を買ったり作ったりしても、その会社を経営する能力が無ければ、楽しむどころか、会社は行き詰まり、倒産してしまうだろう。
そうならないように、優秀な経営者を雇って経営させたとしたら、自分自身は、楽しくも何ともない。
それは、砂場を買って、自分の代わりに他人にその砂場で遊んでもらうようなものだ。トイレに行きたいけど、自分がいけないから、代わりに他人に行ってもらうような、本末転倒意味不明の行為だ。
自分が子供の時、砂場で仲間たちと無心に遊んでいるとき、何が楽しかったのかを思い出せば、人生を楽しくするために必要なことが見えてくるはずだ。
自分が仲間たちに、自分のやりたい遊びや遊び方を提案し、それが受け入れられたとき楽しかったでしょう?
自分の納得のいくルールで遊べるのが気持ちよかったでしょう?
自分の思い通りの形に仕上げていくのが楽しかったでしょう?
仲間たちに、自分のアイデアが認められ、尊敬されるのは、気分が良かったでしょう?
みんなに、楽しいヤツだと思われて、たくさんの友達が集まってくるのが幸せだったでしょう?
仲間たちと、力を合わせて作り上げたものが誇らしかったでしょう?
大人になっても、これらは、本質的に、なにも変わらないのです。
だから、人生を楽しむのに第一に必要なのは、3億円なんかじゃなく、自分の思いを企画や構想へと練り上げていく力です。人々の気持ちを動かすことの出来る、プレゼン能力です。組織に働きかけ、組織の意思決定メカニズムを操作する、政治力です。自分が思いついた遊びに乗ってくれる、仲間たちです。
そういう、砂場で無心に遊ぶ子供のように人生を楽しむ能力を身につければ、結局のところ、十分な収入も得られ、生活に困ることもなく、そこそこの贅沢もでき、お金なんかにさほど執着しなくなるのです。
宝くじなんて、買いに行く暇があったら、自分の企画能力や政治能力を磨き、人脈を築き上げた方が、よっぽど楽しい人生を送れるでしょう。
もちろん、子供の頃、砂場で、外したことばかりやってみんなに嫌われたり、あるいは、積み木も砂山もちっとも楽しめなかった子供がいたように、大人になっても、やはり砂場でうまく遊べない大人というのはいます。
そういう人は、是非とも宝くじを当てましょう。そして、当たった3億円で、お金目当ての女の人と結婚し、愛のない家庭を築き、「この家がぼくの砂場なんだ。砂場なんだ。砂場なんだ。」と毎日となえながら暮らすというのも、選択の一つかも知れません。
でも、できれば、脇役でもいいから、砂場で無邪気に遊ぶ「元」子供たちの仲間に入れてもらって、一緒に遊んだ方が楽しいと思うよ。