新日曜美術館 池田満寿夫 エロスと般若心経

夕食を食べていたら
池田満寿夫の話が始まった

熱海に佐藤陽子と住んでいたんだね
不便だったろうな


温泉はいいけれど
新幹線だしな

日比野さんが
線いうものは筆跡のようなもので、
個性が刻印されていて、独自である。
生涯を通じて一貫したものがある。
色彩については、環境や人などから大きな影響を受け、変化するといった意味の事を言っていた。

池田氏については、最初の富岡妙子から始まって、遍歴は
やや太め
で一貫しているようだ。
実に一貫したものがある。

佐藤陽子は強烈にマリア・カラスの弟子だと言っているらしいが、
実際、バイオリンの道でだけでもたいしたものなのに、
声楽家としてカラスの弟子で歌唱の公演もしているのだから
激しい。

池田満寿夫くらいしか釣り合わないだろう。
昔、池田満寿夫が亡くなって後の展覧会で、
佐藤陽子が本にサインをしてサービスしているのを見かけたが、
そんなことしなくてもいい人なのに、
もうそれは宗教的な行為かと思うくらい謙虚だった。
私は何となくもっと傲慢な人というイメージを持っていて、
それは多分マリア・カラスのこともあったのだろう。

池田の女性遍歴は当然話題になるが、
そしてその精神分析も問題になるが、
佐藤陽子もかなりである。
何しろ、あれだけの激しいキャリアの途中で、
外務省超エリート、岡本行夫と結婚して離婚していたという。
岡本は34歳、陽子との離婚を目白の田中邸で早坂氏に語った。1979年。
陽子が声楽に熱中していた当時のことだ。

岡本行夫が北米一課課長のエリートコースを捨てて人生行路を変更したのが1991年。
外務省北米二課小和田雅子氏が結婚退職したのが1993年。
尊敬していた上司岡本行夫と言及が何度もあるらしい。岡本氏は当時40歳後半。
当時の外務事務次官は小和田恒。
その後の岡本氏の処遇、特に外務省側の気の使いようから見て、多少の憶測があるらしい。

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それにしても芸大に三度受験して三度ともだめ、その頃を支えたのが富岡妙子だったと記憶する。
女性が厳格なカトリックで離婚しないことも影響したのだろう。池田は婚外婚を重ねる。
小説、映画、陶芸と遍歴はづく。

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男と女の話も、池田、佐藤陽子から岡本に飛んで、小和田につながり、
急激に緊迫度を増すあたり、興味深い。