表音主義

日本語を新しく勉強するには表音主義が便利だろうとは思う

源氏物語を朗読だけで楽しめるなら表音主義で充分なはず
かな文字文化は表音文字体系でいいのかもしれない

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私わ学校え行って、トイレで手お洗う。
は、へ、を については習慣で書き換えに抵抗があるが
単なる習慣だと思う
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私がハングルを読むときもアルファベット表記のほうが便利だ
韓国人の名前など
その点では外国人にはローマ字表記が簡便なのだろう
しかも現代ではPC入力の際にローマ字入力をしているのでますますローマ字派には
根拠があるような気がする。
私自身は困った偶然を守りぬいていまだに平仮名入力である
ローマ字入力よりも2倍早いはずなのだが音だけ聞いていると遅いような印象がある
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何かの申し込みなどで名前を漢字で書いてそのカナを書けと言われることがある。
かなとあれば平仮名でカナとあれば片仮名らしい
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簡単に言って、文章の全てを平仮名で書けというようなもので
とても抵抗を感じるのだが
話し言葉はそういうものなのだからと言われると納得しないでもない
でも、話し言葉は、平かなをフラットに読んでいるのではないのだから
話し言葉→平かな表記 という論は簡略化し過ぎである
話し言葉はむしろ
現代の絵文字つきメールに近い
はい という場合でも絵文字で気持ちを添えてもらうとずっと分かりやすい
そのように話し言葉ははるかに情報が豊富なのだから
平仮名にできるのだといわれても賛成はしにくい
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速読ができなくなる
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仏教学の中村元先生もローマ字で分かち書きにして日本語を表記すればわかりやすいと話していた
長い時代を通観し広く世界の友人を考えてみれば
そのような考えも出てくるものだろう
一時的で地域的なものでしかない、それは理解できる
パーリ語、サンスクリット語、古代中国語などと比較して日本語が特にどうということもない
特に古代インドの言葉はゼロの発見とかも言われるように
たとえば存在すると表現するときらにわざわざ「不在の非存在」と表現したり、特別だった
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そのときの中村元先生はパーリ語の仏典の中国語翻訳を教えてくれていた
有名なカニシカ王の問いなど
先生は医科の人にどれだけ役に立つかわかりませんがやってみましょうねとおっしゃって
医学部といわなかったことが記憶に残っている
物事を難解に語りしかも内容に乏しいことはよくないと考えていたようで
その点で分かりやすく、話し言葉を基本にして、しっかり考えていこうと提唱していたように思う