事の発端は、1つの裁判だった。乳幼児を亡くした母親が、助産師を訴えたのである。
昨年10月、1人の乳幼児が脳内出血で死亡した。新生児は血液凝固を助けるビタミンK2を体内で十分に生成できない。そのままでは、新生児2000~4000人に1人の割合で頭蓋内出血などが原因で死亡する可能性がある。そこで厚生労働省は、新生児には生後1カ月以内にビタミンK2シロップを3回服用させることとする指針を出している。
乳幼児は病院ではなく助産院で生まれた。そこの助産師が、ホメオパシーの実践者だったのである。助産師はビタミンK2シロップの代わりに、ホメオパシーのレメディ(独自の薬剤)を投与し、母親には「同等の効果がある」と説明したのだという。母親は、助産師を相手取り、山口地方裁判所に損害倍総請求の訴えを起こした。
ホメオパシーのレメディとは、様々な物質をその物質の分子が1つも残らないほど希釈して、糖に染み込ませたたものだ。そのようなものが、ビタミンK2の薬効を示すはずもなく、結果として乳幼児死亡事故が起きてしまったのである。
この問題は、読売新聞と朝日新聞が積極的に報道を続けている。それら報道によれば、助産院の現場にはすでにかなりの割合でホメオパシーが浸透しているという。
ホメオパシービジネスは、助産師を対象とした資格商法で、かなりの収益を上げているようだ。資格取得に多額の経費を注ぎ込んでしまった助産師が、引くに引けなくなってしまい、「まずい」と思いつつもホメオパシーを出産の現場に適用し続けることを、私は憂慮する。
8月24日、日本学術会議は、金澤一郎会長による「ホメオパシー」についての会長談話(pdfファイル)を発表した。ホメオパシーに科学的根拠がないことを解説し、その効果はプラシーボ(偽薬)でしかないことを明記している。その上で、「ホメオパシーの治療効果は科学的に明確に否定されています。それを「効果がある」と称して治療に使用することは厳に慎むべき行為です。」と、治療目的での利用を戒める内容となっている。
この会長談話を、日本学術会議では半年ほど以前から準備していたそうだ。事前準備があったためだろう。会長談話に合わせて、日本医師会と日本医学会(共同声明:pdfファイル)、日本薬理学会(賛同コメント)、日本薬学会(賛同コメント)、日本薬剤師会(賛同コメント:pdfファイル)、日本獣医師会と日本獣医学会(賛同コメント:pdfファイル)、日本歯科医師会と日本歯科医学会(賛同コメント;pdfファイル)、日本助産師会(賛同コメント:pdfファイル)――医学関連の団体、学会が軒並み日本学術会議の会長談話に賛同する姿勢を明確に示した。
つまり日本の医学関係者がまとまって「ホメオパシーは医療ではない」と、ノーを突きつけたのである。
当然のことながら、ホメオパシー関係者も日本学術会議の会長談話に対して、反論のコメントを出している。日本ホメオパシー医学協会の反論、日本ホメオパシー医学会の見解などだ。
ひとたび社会問題化すると次々にニュースが出てくるもので、朝日新聞によれば、沖縄県名護市の公立中学校の養護教諭が、ホメオパシーに使う「レメディ(実態は砂糖玉)」を日常的に生徒に渡していたことが判明した(記事)。報道によれば、教諭は、学校に砂糖玉をレメディーに変換するという装置を持ち込んでいた。
また、9月8日には、東京都がレメディを販売していたホメオパシージャパンに対して薬事法違反容疑で立ち入り検査を行っていたことが明らかになった。
私思うに、ホメオパシーは「プラシーボ効果を最大限に発揮する」方向で進展してきたのではないだろうか。
ブラシーボ効果についておさらいをしよう。プラシーボ効果とは、「薬だよ」と嘘を教えて実際には薬効のない薬剤の形をした乳糖などで作ったニセの薬(プラシーボ)を服用させると、本当に効いてしまうという効果だった。人間の精神と体は分かちがたく結びついている。服用したものが薬だと信じると、それだけで身体はある程度反応するものなのだ。
ホメオパシーの効果がプラシーボでしかないことは、現代医学で分かっている。とすると、過去にホメオパシーによる治療を推進してきた人々は、期せずしてプラシーボ効果を最大にするべく努力してきたということになる。
ここで、「高い薬と安い薬とどっちが効きそうだと思うか」と自問してみよう。答えは明らかだ。高い薬の方が効くような気がするのだ。となると、レメディの高価格も、実はプラシーボ効果を最大限発揮するための道具立てということになる。
実際、レメディを見ていくと、プラシーボ効果を引き出すためと判断できる工夫を、随所で発見することができる。例えば薬の包装だ。砂糖なのだから紙で包んだ薬包だってよいはずなのに、なぜかそれっぽいガラスの小さな瓶に入っていたりする。値段の高い栄養ドリンクのパッケージが金色なのと同じだ。あるいは、錠剤(pill、あるいはtablet)と言えば済むところを、わざわざレメディ(remedy)と呼ぶ(remedyは「救済策」という意味の単語。転じて特定疾病に効く医薬品という意味を持つ)。これも通常の薬剤に対する差別化戦略だろう。個々のパッケージング、宣伝文句、個々のレメディの命名、そして価格――どれを取っても、なんとなく「効きそう」という気分になるように的確にマーケティングされている。
となれば、「気分だからホメオパシーのレメディを使ってもいいんじゃないの」ということになるだろうか。「高い値段を払っても、プラシーボ効果があるのならばいいじゃないの」という考えは正しいだろうか。
実は正しくない。
「ホメオパシーで直すから」とか言っているうちに、現代医学による医療を受ける機会を失ってしまうことがありうるということだ。実際、ネットを見ていくと、そのような例が散見される(一番恐ろしいなと思ったのは、この例だった。スズメバチの毒が起こすアナフィラキシーショックで、簡単に人は死ぬ。それを「レメディで直した」というのには、もはやかける言葉もない)。
「沖縄の公立中学校に勤務する養護教諭が、生徒にホメオパシーのレメディを渡していた」という事例を通してだった。この養護教諭は、学校に砂糖玉をレメディに変換するという装置を持ち込んでいたという。
いったい、この装置はどんなものだろうか。
砂糖玉をレメディに変換する装置――19世紀にホメオパシーを提唱したサミュエル・ハーネマンの理論からすると明らかにおかしな装置だ。ハーネマンが提唱したのは、「毒物を含む水を徹底的に希釈すると薬効が現れる」ということだった。必要なのは希釈を行うフラスコだから、レメディの製造には化学実験と同じ手順が必要なはずである。となると、装置は卓上プラントのようなものになるはずで、手軽に学校の保健室に持ち込んでおける大きさになるかどうかは、少々疑問だ。
そこで検索をかけると、英国のSULIS社というところが販売している、「レメディメーカー」という機械が見つかった。同社は日本語ページまで開設して機械を販売している。どうやら、沖縄の養護教諭が使ったのは、この装置か、あるいは類似の装置らしい。
その原理説明は以下の通りだ。
レメディー作りの基本的原理は、全ての物質がそれぞれ独自のエネルギーのパターンを持つという知識を基にしています。これをホメオパシーのレメディー作りに応用し、粉砕と震とうにより薬剤を作ります。(アボガドロの法則では、6C希釈を超えたら、その物質の分子はもはや存在しません。) エネルギーのパターンは、独自の数字の配列、または「コード」として表されます。レメディーメーカー使用の際、このコードが機器に情報として読み込まれ、その情報に完全に一致したエネルギーのパターンが(例えば、乳糖や水の)媒体物に組み込まれます。
スーリス社のレメディー・メーカーで使用されている「コード」はベース10です。コードのリストは、新しいレメディーのコードが出来次第更新されます。一般的なフラワーエッセンス、身体構造、色、元素、貴石、ビタミン、鉱物、一般の西洋医学薬剤などの「コード」もあります。
(中略)
スーリス社のレメディー・メーカーには、現存するレメディーや、物質をコピーする機能があります。これらのレメディー・メーカーは物質のエネルギーパターンを読み取り、それをコピーします。また、ユーザーの方々は必要とするポーテンシーを選ぶことができます。複合レメディーは、必要とする個々のレメディーの詳細を記憶装置に蓄積し、それを最終的に錠剤にする際に同等の割合で混ぜ合わせて作ります。
「物質にはエネルギーパターンがあり」「それは数字の配列として表現できる」「その情報を物質に転写する」……という主張だ。エネルギーパターンとは何だろうか。物理的に定義されるエネルギーのパターン(模様)とは……非常に曖昧だ。むしろ物質の“特徴”とでも言うべき、非常に主観的なもののように判断できる。
私はこれとほぼ同じ内容を読んだことがある。「水からの伝言」の波動転写機だ。
ニセ科学に興味のある方は、「水からの伝言」という「水には人間の心が分かる」という主張を聞いたことがあるかも知れない。水に向かってきれいな言葉を聴かせて凍らせるときれいな結晶になり、「バカ」「死ね」と汚い言葉を聴かせて凍らせると汚い結晶になるとする。
これは事実として全く間違った主張だ。氷の結晶がどのような条件でどんな形になるかは、エッセイストとしても著名であった北海道大学の中谷宇吉郎博士(1900~1962)の歴史的研究により「中谷ダイヤグラム」というきれいなグラフにまとまっており、人の意志が介在する余地は全くないことがはっきりと分かっている。
ところが、「水からの伝言」は数年前に、「水も良い言葉が分かるのだから皆さんもきれいな言葉を使いましょう」という形で、小学校の道徳の授業に入り込んでしまい、かなりの問題になった。
この件に関しては、大阪大学サイバーメディアセンターの菊池誠教授や、学習院大学理学部の田崎晴明教授などの物理学者たちが、「明らかに現代科学で否定できるような、非科学的なニセ科学が一般に蔓延するのを許すわけにはいかない」と精力的に活動し、学校教育の場への浸透を防ぐことに成功した。「水からの伝言」の実態は、田崎教授の「水からの伝言」を信じないでくださいに詳しく書いてある。
で、その「水からの伝言」の主張の中に、「物質は固有の波動を持っていて、それを水に転写できる」というものがあり、実際に複数種類の波動転写機が発売されている。
例えば「水からの伝言」の提唱者である江本勝氏が経営する会社アイ・エイチ・エムの波動転写機は、その原理を以下のように説明している。
誰でも自分の感覚で、気軽に波動を取り入れられる、世界初の画期的・超小型の波動機器。「読み込み機能」と「書き込み機能」によって、パソコン環境(予定)も使え、個人で取り込んだ、波動データ(コードの集合体)を、同時に取り込んだ画像データや、コメント、状況の説明データとともに、同じファイル内に記録として収納することができます。 そしてそのデータを、自身で直接「HADO- i」の「ダウンロード機能」によって、水(デトックス ピュア ウォーター:短期間保存用、近日発売予定の、愛感謝水:長期保存用)に転写。
さて、ここに出てくる「波動」とは何だろうか。どうやらそれはアップロードとダウンロードが可能で、物体に転写できるものらしい。では、その物理的実体は何だろう――レメディメーカーの解説にあった、エネルギーパターンと同じく、「その物質の特徴」といった曖昧かつ主観的な概念を、波動という物理学用語で包み隠しているように思える。
「波動という物理的実態があいまいな存在をデータ化し」「取り込み」「水に転写できる」――先ほどのレメディ・メーカーとそっくりだ。ちなみに“波動転写機”で検索をかける(Google)と様々な機種を見つけることができる。そのどれもに、上記と似たような解説が付いている。
実は「波動」という言葉は、ニセ科学を語る上で欠かせないキーワードだ。
物理学における波動は、つまりは「波」のことだ。音波や海面の波のように物理的実体があり、定量的に把握できる。しかしニセ科学における波動は、「そのものの本質」「そのものの実態」、場合によっては「魂みたいなもの」といった曖昧な意味で使われており、定量的な計測はできない。
定量的な話抜きで、「波動」という言葉を使っている宣伝があったら、まずニセ科学との関連を疑った方がいい。そう断言できるほど、ニセ科学は波動という言葉をよく使う。
波動測定機は、その曖昧な概念を「波動」という物理用語で包み込み、あたかも移動させることができる実体であるかのように装っている。同じくレメディメーカーは、「エネルギーパターン」という物理学用語を含む言葉で、あいまいな実態を包み隠している。 波動転写機に関しては、阪大・菊池教授が調査を行っており、基本的に皮膚の電気抵抗を測定するタイプの嘘発見器と同じ構造であることが分かっている(「水からの伝言」をめぐって 菊池誠(pdfファイル))。