達成感

達成感はどのように生じるのだろう

人間は自分の能力の範囲がわかるので
達成可能と達成不可能の限界が生じて
目標設定をする
当然に達成可能なことであれば達成感はない
呼吸をするとか歩くとかは
通常は達成感を生じない
当たり前になる
達成限界の境界あたりを目標に設定すれば達成感が生まれる
しかし考えて見れば
それだけのことなので
達成感にどれだけの意味があるか考えてみる必要はある
ーー
たとえば100メートルを10秒で走ることが普通の人にとってとても難しいことだと誰もが知っているのは
学校で走らされて記録を取られたことがあるからだろう
20秒かかる人にとってみれば
11秒も12秒も同じようにとてつもない話だけれど
足の早い人にとっては11秒と12秒とを同じカテゴリーに入れるのは
物事を理解していないことになる
何も達成していない人も達成感について語ることができるのも不思議なことだ
その人なりに推定しているのだが
推定される方は拒否するはずだ
マイク・タイソンがチャンピオンであることの実感について語るとすれば
凡人のチャンピオンについての観念とは、ずれているはずだろう
しかしそれでも不自由しないで
言葉や体験が通じていると思って
生きていられるのが人間の不思議だ
ーー
ボールが止まって見えるという人にとっては
ボールが打てることは当然のことなのだろう
達人は本人にとって普通のことをしているらしい
ーー
凡人の考える偉大さというのはやはり平凡なのだ
ーー
甲子園で優勝することがどのような体験なのかほとんど誰も知らないが
それぞれの体験の範囲内で推定して興奮したり賞賛したり批判したりしている
それはとてつもないことだ
なぜ分かるのか
何が分かっているのか
誰にも分からない
ポストが赤いとか
カラスが黒いとか
分かっているし通じるが
実際はよく分からない
ーー
凡人には凡人の景色しか見えない
凡人の空想するマイク・タイソン的実感に過ぎない
すべての想念の背景に凡人の前提がある。それが限界だ
しかし実際にはそれで充分である
達成感の脳回路が共通だからなのだろう
凡人はノックアウトまで1分と1分5秒ではあまり違わないと推定するが
マイク・タイソンは「ふっ、そこに大きな壁があるのさ」と言うのかもしれない
どんな人間同士も、ゴリラと比較すれば、似ている
ーー
それが大きな壁なのか小さな壁なのか
理屈から言えば、おそらく世界中でマイク・タイソンが一番小さな壁と感じるはずで
凡人は巨大な壁と感じていいはずだろう
しかしその巨大さを実感できるのはマイク・タイソンなのではないかと思うと逆説が成立する
ーー
結局、マイク・タイソンがしたことも本人にとって可能なことをしたに過ぎないので
凡人がやっとのことでハーフマラソンを走りきったのに近い
ーー
先日ベルリンマラソンに参加して走った人がいて、10キロまではいつもと同じで楽勝だったと話しているのを聞いて
凡人にはわからない言葉であり通じない言葉なのだと感じた
ーー
10兆円の借金はビル・ゲイツならば現実に返済できる
ヤザワなら数億円
日本国民なら1000兆円
凡人にはどれも途方もない数字で不可能という点でみな同じ