グーテンベルクは与えたけれども、インターネットは奪った

ググることや「ウィキペディア」を疑って、第1資料に遡っていかなきゃいけないんだけど、そういう努力というのを誰も顧みなくなってくるような気がしているんだよね。だって「グーグル」って検索ヒット順になるでしょう。それで、たくさん検索されたものが本当の話だよ、って流れにどうしてもなっていくじゃない。
そうすると、人気のあるデマのランキングというものでしかあり得なくなる。
誰かが書いたブログが人気になりましたよ、で、その引用、引用で、別の誰かの文章がまた上がっていって、もうそれ以上はどうしようもない。
あと5年、10年ぐらいたつと、「ウィキペディア」や「グーグル」を信用しちゃっているやつは情報弱者だよ、という話が広まってきて、もう1回、1次資料を当たるのが本当のジャーナリストでしょう、と。
ウェブの導入期に、情報はタダだ、という浸透の仕方があったけれど、タダがよかったのか、という疑問はあるよね。
今はその揺り戻しが来て、経費をかけて1次資料に当たっているメディアは、やはり課金の方向に向かっているけどね。
だったら、今度は情報の信用性は金で買う、ということになってくるのかな。
金で情報の格差が生じてくる、ということはあるだろうし、あとはたぶん持っているツール云々も出てくるよね。
一番身近な例で言うと、若いやつの中に携帯からウェブを見ている人たちと、パソコンでウェブを見ている人たちと、二通りがいるということで。これに今度はiPadが入ってくると、そのどれを持っているのか――3つとも持っているのか、1つだけしか持ってないのか、携帯でしかウェブに関われないのかということで、そいつの情報を引き出す能力とか、関与できる能力とか、いろいろなところに自分を宣伝する能力とかに、おそらくとても巨大な差がつくと言われている。
たいがいの人間は発信の大本になることは、あまりないから、その周辺の人の仕事というのが、ホワイトカラーの大半の仕事になっていくんじゃないか。
インターネットが出てきたときは、グーテンベルグの印刷技術と同じぐらいの革命だと言われたんだよね。それで多くの人が豊かになる、と。当時は僕もそうなのかな、と思ったんだけど、インターネットはグーグルとか、孫(正義)さんとか、一部の人たちはものすごく儲かったけれど、ほとんどの人は奪われたんじゃないかと思いますね。
確かに業界的にもそうだけど、個人で言うと、俺たちだって全員が、携帯代とか、プロバイダー料金だとかいうことで、薄ーく、万遍なく取られているよね、情報税みたいな形で。
実際に今だって取られているわけでしょう。グーテンベルクは与えたけれども、インターネットは奪ったと考えてもおかしくないんじゃないか。
むしろ、ブログにしても、ツィッターにしても、お互いがお互いにとって商売になっちゃったみたいなところで、どんどんおかしくなっていったと思う。
女性の裸が丸見えになってすごく安くなっちゃったね、ありがたみがなくなっちゃったね、みたいなことが必然的に起こると、じゃあ、壁を取ったことで、いったい誰が得をしたんだろう? という話になるよね。だいたいセックス観みたいなものは、隠しているからこそ成立する、ということが我々の中にはあるから。