ネットというもの 英語の覇権 

メールに、熟女が何とかって、広告が来るじゃない。お前、俺の年齢を知っていて、だからこういうものを寄越すのか、というぐらい、非常に不愉快なのがたくさん来るでしょう。
Google
アマゾンのお勧めって、不快だね。あなたはこれが読みたいはず、と見透かされたときの不愉快さってあるでしょう。
気分を残すんじゃなくて、マンションの1室に引っ張り込んで、ビデオを見せて監禁する、みたいな、そういう世界になっているよね。
 探すものが決まっているときはアマゾンでいいというか、アマゾンの方がむしろいいんだけど、何かないかな、と探すときは、絶対に本屋さんの方がいいんだよね。
フランス人はやっぱりいいところを見ていたな、と思うんだけど。インターネットみたいなものがアメリカ資本で動き出したら、今でも英語支配なのに、アメリカの言語がますます世界を牛耳っていくんじゃないか、ということを彼らは懸念した。確か「コンピューター」という言葉もフランス語に直して、とにかく、あらゆるいろいろなことを全部フランス語に直していったんだって。
インターネットによって英語支配がますます強くなっちゃって、あらゆる学会に行っても、英語をしゃべれるやつが一番偉いんだ、みたいなことになっちゃっている、と。自分の専門分野の話をするのでも、結局、英語で話せないといけないから、英語の得意なやつと論争すると、「君、それ文法的に違うよ」というところで、優位に立たれてしまって、だから勝負にならないんだよ
英語国民で教養のないやつと、素晴らしく教養のある非英語国民が論争をすると、後者が前者に負けるという不愉快なことが起きて。
だからネットの中に非英語の何かを作る責任が、日本人にはあるということですよ。
もう広告も、そういう海外コンクールなんかには出さない。だって別にフランスでオンエアされてないのに、何でカンヌで賞を獲ったとか、獲らなかったとかが話題になるのか、よく分からない。ゴーイング・ガラパゴス、オーケー、オーケー、ガラパゴスでいいんじゃない、ってね。
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なるほどね、そう言われればそんな感じはする