大学の先生が学生について書いている
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私は最初の授業で、学生たちの読書体験を聞きます。最近は、文学部日本文学科を志望して入ってきた彼らのほとんどが、夏目漱石の作品の1冊すら、読み通したことがないと答えます。かといって、ほかに好きな作家・好きな作品があるわけでもありません。
むろん彼らは、漱石の名も作品も知っていますが、それは教科書・参考書の解説やダイジェストを通してのこと。そして私の授業に対し、私の解釈はどの解説にも書かれていないと反論してきます。私は独自の漱石論を述べているのですから、それは当然なのですが、彼らは「そんな偏ったことを教えられては困る」と言うのです。
しかしそもそも、偏りのないところに文学は存在しません。作家たちは、心の中にある偏り、それが生み出す人とは違う苦しみを、文字にせずにはいられなかった。そして、やはりそれぞれの偏りをなんとかしたいとあがく読者が、作家の言葉に同じ偏りを見出し、そこに生まれる心の交流を通して成長する。これこそが「文学を読む」ということであるはずなのに、学生たちはそれを体験したことがないのです。
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こういうやりとりが
アスペルガー対知能発達遅滞
三段目は全く意味不明