訂正できない

検察が筋書きを想定すると

その想定に都合のいいデータを作る
ああ、それって、どうでもいい論文でデータを都合良く操作しているのと同じ
そんなのでノーベル賞が取れるわけでは全くないんだけれど
とりあえずデューティを60点で乗り越えることはできる
大抵の人はそれ以上のことはできない
科学の場合は再テストできることが条件だし誰がやっても同じ結果になることが条件だから
時間が経てば検証できる
しかし人間に起こる一回限りのことについて
事実関係を明らかにするとかの話になると
再テストもできないし
針小棒大も誘導も作文も起こってしまう
それを防止するためには
科学のような手順が踏めないことを惜しみながらも
権力者とチェック者を分離するのが方法だ
たとえば親子関係ではどうしても親が子に優越する
経済力でも経験でも
そんなとき親が思い込むとそれを子に押し付けてしまうことが大いにあり
そんなことの連続が親子関係と言えないこともない
そんなときおじさんくらいの人が登場してチェック役になる
それはよくあることだ
検察という権力があって
被疑者という非権力的な存在があるという場合
力関係としては非対称であるし
権力側は自分の思い込みを訂正する機会もないし方法もない
そんなときはチェック機関を設立しようということになる
人間の社会は広いようで狭いので
チェック機関と言っても権力機関とほぼ一体の存在になりそうであるが
それは現実としても
理念としてはチェック機関を独立で設立することができる
おおむね、裏付けのない仕事が許される領域では
話がどんど先いい加減になり自由作文が進んでしまう
下品なことであるが
そんな世界に生きているのだから仕方が無いだろう
下品になりたくなければ近づかないことだ
そして
きちんとした検証にも合格できるような仕事をすること
そのために検証システムのある場所で仕事をすること
それがなければいい加減な人が業績を上げるのでやる気が無くなる
ーー
しかし最後の最後のところでは
個人の良心の問題なので
人間の出来の問題だ
世の中には案外尊敬できる人も多いと思うがどうだろう
ーー
妄想性障害の場合は
考えを訂正できないのが大きな特徴である
病気の特性でももあるが
いろいろな事件を通してみると
人間の特性なのだとも思える
思い込んだことがたまたま正しかったら偉大な科学者で
思い込んだことがたまたま正しくなかったら妄想性障害で
思い込んだことも事実に即して訂正できる人が正常な人である
事実に即して訂正できる人が抱くことのできる想念の範囲はあまり広くない
せいぜいはみ出ても常識の半歩前か後くらい
だからこそ訂正できるとも言える
ーー
自信がありすぎるというのも訂正できない理由の一つだ
訂正する理由がない
私には分かる
私には見える
理屈じゃない
と語る人の何と多いことだろう
そのような下品な世界から離れたいと思う昨今である
ーー
丁寧に相手を納得させるということは
自分の内部できちんと整合性のある理論が出来上がっているということだろう
相手を説得していくうちに
自分の内部も出来上がる
そんな関係にある
ーー
言葉を変えると謙虚であるということだ
謙虚であれば
訂正できる