国語五上 銀河 光村図書 より以下転載
『ごみ問題ってなあに』 嘉田由紀子さん
「ごみ」ってなんでしょう。 いつもあまり考えずに使っている言葉ですが、意外と説明はむずかしいものです。いっしょに考えてみましょう。
あなたたちの教室のゆかに、えんぴつが一本落ちていたとします。 それに名前が書いてあれば持ち主が分かりますから、えんぴつは持ち主に返されて、ごみにはなりません。 もし、そのえんぴつが道ばたに落ちていたらどうでしょう。 だれかが拾って学校にとどけてくれ、持ち主にもどされれば、ごみにはならないでしょう。 でも、そのえんぴつがみぞに落ちて流され、どこか川べりに流れ着いたら、まだ書けるえんぴつだとしても、ごみになってしまうでしょう。
このように、「もの」としての性質が変わったわけではなくても、人とのかかわりが切れ、だれも使う人がいなくなったとき、物はごみになってしまいます。
また、まだ使えるえんぴつであっても、あなたが「もう、このえんぴつはいらない。」
と思うと、そのえんぴつはごみ箱にすてられて、ごみになってしまいます。「もの」として利用できても、わたしたちが「不要」とみなすことで、ごみになります。物は人の意識の中でごみになってしまうのです。
このように考えてくると、「もの」として、本来ごみである物はほとんどないことが分かります。にもかかわらず、大量にごみを出し続けているのが現代の日本です。
これに対して、物とのかかわりを大切にし、かんたんにはごみを出さない社会がありました。日本の江戸時代です。江戸時代には、物がこわれたら直して使うために、「修理・再生業」がたくさんありました。例えば、あなが空いたなべは「いかけ屋」、われた茶わんは「焼きつぎ屋」という職人がいて、こわれた物を直してくれました。また、わたしたちならすててしまうような物を集めて使ったり、必要な人のところへ運んだりする「回収せんもん家」もいました。例えば、今は水洗便所に流してしまう人間のし尿も、農業の肥料に利用するために集めて、農村に運ぶ人たちがいたのです。また川岸やはまべに流されてきた木切れなども拾い集められ、おふろの燃料に使われました。実は、このように修理・再生したり、回収したりする仕組みは、五十年前ぐらい前まで生きていました。ですから、当時は町や川岸にはほとんどごみがありませんでした。
海外に目を向けて見ますと、今でも、物を大切に使い、ごみを出さない社会があります。わたしは、アフリカのマラウイという国に毎年出かけ、そこの子どもたちのくらしぶりを研究しています。マラウイの子どもたちは、身近にある物を実にうまく工夫して、遊び道具などを作って楽しんでいます。例えば、わたしたちがごみとしてすててしまうビールのびんのふたを、たくさん集めて「数遊び」に使ったり、平らに広げて「びゅんびゅんごま」を作ったりします。ペットボトルも、魚をとるためのあみのうきに「転用」したり、遊びのための船に「変身」させたりします。子どもたちが、一度使われたものをじっくり見て、その使いみちを工夫する力には、いつも感心させられます。ほうっておけばごみになってしまう物たちに思いもかけない新しい命をふきこむのです。
江戸時代の人たちやマラウイの子どもたちのくらし方について、貧しくて物を買うお金がないからだという人がいます。確かに、そのような面もあるでしょう。でも、物を修理・再生したり回収したりしてごみを出さない江戸時代の人たちや、物を「転用」したり「変身」させたりするマラウイの人たちの生活からは、自然に負担をかけずに、その中でくらす豊かさが感じられます。それに何よりも、遊び道具を作り出すときの子どもたちの目には、わたしたちがわすれてしまったかがやきがあります。それに対して、なんでもすぐにごみとしてすててしまう今の日本の社会では、増え続けるごみが自然をこわし、美しい風景をだいなしにしたり、水や空気をよごしたりして、わたしたち自身の生活にとって、大きな問題となり始めています。豊富なものに囲まれていても、この社会では、物を大切にしようとする心が失われようとしているように思われてなりません。
今、日本人は一日に一人平均一キログラムのごみを出すといわれています。一年で三六〇キログラム以上です。このことを考えたとき、わたしたちがごみとして、そのかかわりをたち切り、見すててしまった「もの」たちに、再び命をふきこみ、それらを生かし続けるためのちえと工夫は、ごみ問題を解決していくための重要な第一歩になるのではないでしょうか。
日本にかぎらず先進国といわれている多くの国では、大量のごみが出され、エベレストの頂上から南極・北極にまで、ごみは増え続けています。みなさんはどう思いますか
嘉田 由紀子
一九五〇年、埼玉県生まれ。環境社会学者。川・湖などの水のよごれやごみなどの環境問題について研究している。