耐える鈍牛 ぱっとしないことに耐えぬくのだ

鈍牛

というものは
耐える力そのものである
人間の才能とか能力は
DNAと環境の適合性によって決まることで
偶然の部分が大きい
早く生まれた天才がいて
遅く生まれた天才もいる
おおむねを言えば釣鐘型の分布をしているものなので
その中のどこかが適合でそれ以外は周辺部に向かうに連れて不適合になる
自分がどの程度の適合度かを自分で決めることはできない
努力の程度も才能のうちで自分で決められるものでもない
ただわずかにアドバイスするとすれば
耐えることである
地味であること、才能の乏しいこと、理解されないこと、褒められないこと、
意欲の乏しいこと、要するにぱっとしないことに耐えぬくのだ
DNAと与えられる環境がどうであるかは神様の決めることだ
とにかく与えられたものを生きるしかない
不景気のせいだ、他人のせいだと言っていても幸せにならない
せめて与えられた条件の中で幸せになろう
そのためには与えられた条件の中での幸せを味わうことである
牛に生まれたものは仕方がない
牛であることとはどういう事なのかを味わってみるしかない
牛であることの幸せがどのようなものであるかを味わってみる
そのためには鈍牛がいい
キレル牛はへばりも早い
なるべくピークを後半に持って行くくらいのペース配分だ
世の中の99%は耐える鈍牛なのであって
その点で共感できると思う