子どもの自分なりのこだわりを「窓」 といっている

○「窓」(山中康裕氏、2006)をもっている子

・山中氏は、釣りが好き、ある音楽グループが好き、という子どもの自分なりのこだわりを「窓」 といっている。「窓」という言葉は、例えば釣りの世界を「窓」にしてそこから外の世界を見よう としているのだという意味をこめて、あえてこだわりと言わず、「窓」と言っている。自分は、ス クールカウンセラーをしていて、不登校の子を見てきたが、たとえ学校に行けない子でも、この 「窓」をもっている子は、安心なのではないかと思う。*山中康裕『心理臨床学のコア』京都大学 学術出版会、2006年

≪山中氏が紹介しているある一人の男の子≫ イギリスのある音楽のバンドの4枚目のアルバムがいい。なぜいいかというと、メンバーが勝 手に演奏しているようで実はちゃんとあっている。それでいて、個性が出ているから、と言っ ている。この子は、音楽を「窓」にして人間の在り方、世の中を見ている。

≪私自身の小さな事例:ある小学校の女の子≫ うちの子は、人間が嫌いらしい、心配だと母親。しかし、この子はミドリガメが好きで、その カメの餌を夜通し探し回ったという。カメは「窓」になっているのではないだろうか。

・世の中に適応できない子でも「窓」をもって、世の中へのまなざしをもっていれば長い時間をか けて心が開かれていくのではないか。

○「窓」をもっていない(もてない)子

・最近「窓」をもてない子どもたちが多くなってきている。何にも興味がわかない、何をしてもお もしろくない、死にたい、とばかりいう子が増えてきている。

・スクールカウンセラーの仕事をしていて子どもの背景が以前より見えてくるようになった一方で 子どもと心が通わなくなってきたなあと思うことが多くなった。「この子は~な背景をもっている のだろう」と分かった気になって、その子への尊厳の気持ちというものが薄らいできてしまってい ると感じる。言葉でない交流がもてなくなってきている。だから私自身は、今、もう一度、子ども の心に共感していくということを課題にしなければと思っている。

・子どもが「窓」がもてず、さらに私自身が子どもと交流をもてなければ、なおさら事態は悪くな る。この子はこういう子だろうという推測からは子どもとの交流はなかなか生まれない。自分は、 このような悩みを抱えた時、津守真さんの『保育者の地平』(ミネルヴァ書房)を読みかえす。一 人一人に寄り添うことを深く考えさせられる本。

2 「窓」を生み出すのは?

○「存在感」と「自発性(能動性)」

・世の中に受け止めてもらえているという存在感、この世の中で自分で何かをやっていくという自 発性、能動性が育まれてきていることが「窓」を生み出す。

・自分の中で残っている幼児期の記憶がある。それは自宅の廊下でウルトラマンの絵を描いていた こと。この記憶は、自分にとって自発性が育まれていた時の記憶。自分の中でバランスよくウルトラマンの顔が描けることを追求して何度も飽くことなく挑戦をしていた。ウルトラマンの絵は自分 にとっての「窓」であった。

・イタリアのレッジョエミリア市の幼児教育のビデオを見て自分の廊下の記憶が重なった。それは、 例えば美的な比率を子どもが思考しているとする。それを隣で見ている子が3,4人くらいいる。 一人の子どもがあることを探求していて、隣の子もやはり何かを探求している。その間で相互作用 が起きている状態、その状態をイタリアの幼児教育は追求している。追求している者が隣にいるか らその隣の子も目には見えないけれども探求が進んでいくという意味での協同性がイタリアの幼児 教育にはある。自分が廊下でしていたことが少しずつ広がっていくとこのような幼児教育の形にな るのかなと思う。

・逆にそこから日本の幼児教育を見た場合に気になることがある。日本の場合は、協同性というと 目に見える形で協力し合ったりとか、思いやりを求めたりとか、そういう形に子どもたちをはめ込 んでいくようなところがある。そういうことが多くなると、「窓」はもちにくくなっていくだろう。 協同性は、追求している者同士の間で起こるもの、見えないものだと考えることが大事。

○「乳幼児期」と「10歳」

・10歳(小学校4年生)ということを重く捉えるという考えがある。自分も父親の言葉、行動を 批判的に見るようになったのが10歳の頃。この頃は「理(ことわり)」というものを意識して人 を見たり物事を考えるようになる。正義感が強くなる。父親の言ってること、行動が本当に正しい のかという子どもなりの正義感。はっきりした価値観というまでは高まっていなくても、それなり の正義感がもてるということは、ある基準から自分を評価できるということにつながっていく。

・親離れは10歳の頃から始まっている。大人はそのことにもう少し敏感になってもいいのではな いか。小学校時代に大人に全く依存する形で大人の言うことを絶対視して過ごしてしまうと自分の 中に基準が生まれてこないので思春期になってからどんなふうに自分をつくっていくかという力が もろい。小学校中学年からその力がUPしてくる。その時に大人が「自分はこういうところが悪か った」と子どもに言うことができたら、子どもと対話をすることができれば、子どもはそのことを 力にして自分を評価できるようになっていく。自分をつくれるようになっていく。反対にその力が 弱いまま育った子は、思春期に入った時に自分の中に起こる性的な欲求や様々な欲求、攻撃性にど のように対処していったらよいかという自我の力が弱いまま思春期を迎える。そうすると問題行動 となって現れる。

・10歳になってせっかくいくつかの視点から考えて正義感をもって大人の世界と向き合い始めら れるのに、大人が「いい子好き」すぎる(いい子に基準をおいて子どもに求めてしまう)と自我の 力を育てられずにいってしまうのではないか。10歳前後からパワーアップする自我が育まれれば、 たとえ学校に行けなくても「窓」を通して人を見つめる、世界を見つめるということができるよう になるのではないかと思う。

・様々な子どもの問題が出るたび、忍耐力が弱まっていると感じることはある。しかし、ただ忍耐 力だけを切り離して子どもに求めてはいけない。根本は自発性。こういうことをしたいと思うから こういうことは我慢しようと思えるのであって、忍耐力だけを子どもに求めると逆効果。

*「10歳」が「理(ことわり)」を意識する年齢、というとらえ方は、特に田中昌人氏の『子ど もの発達と健康教育4』(かもがわ出版、2002年)による。

3 「発達」とは?

○「外的発達」、「内的発達」(津守真氏)

・「外的発達」・・・○歳になればこういうことができるようになるという見方 「内的発達」・・・自分の中にやりたいことがあってそれを実現したくてやり抜いていくという自発性の現れ。内側からの子どもの発達ということを考える。「内的発達」という視点で発達が見られるか。

・「内的発達」の核は存在感、自発性。例え何かが出来るようになったとしてもそれが本当にその 子の自発性から生み出された行動なのか、と疑ってもいいかもしれない。何かが出来るようになる ことがいいことだという大人の目にさらされると子どもは一生懸命出来るようにするかもしれない が、それが本当に自発的に実現していることなのか、と見る目が必要。

○「窓」は、大人(教師)にとっては、子どもの内的発達を見る一つの「窓口」

・私自身は少年時代、釣りが好きだった。人からは、ただ魚を釣っているだけ、よく魚の本を読ん でるな、くらいにしか見えないが、自分の中では、人が自然の中で生きることはいいことなんだろ うなあなど、ある価値に向かって、こだわりをもって釣りを「窓」にしていたと思う。「窓」がな んであれ、その子がなぜそれにこだわるのか、深く考えていけば、その子の内的発達が捉えられる のではないだろうか。

・スクールカウンセラーをしていて、その子が何に興味をもっているのかと担任の先生に尋ねるが、 答えられる先生は僅かしかいない。問題行動を起こしてしまう子に対して、どうしてそういうこと をしてしまうかということはよく考えるが、問題児だと見てしまうとその子にとっての「窓」は何 なのかということは見失われてしまう。好きなことは何なのか、その子が求めているものは何なの か、その求めているものが発達の課題。そういう見方がもう少し、浸透していったらいいなあと思 う。