分類と目的

ものごとを分類するときには
なにか目的があるのが普通であるような気がする
病気の分類は主に治療を目的とする
したがって治療の観点からの分類が普通である
本を分類するのは
情報を探しやすくするためだろう
人間を分類するのは
つまりは「何の役に立つ人間か」の目印をつけているのだとも考えられる
美人は美人として用があるし
不美人は不美人として用がある
分類と目的が不可分のものであるらしい
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たとえば人体の解剖学で言えば
骨、腱、筋肉などは言われなくても自然に分類ができているははずだと思うだろう
当然そうなのだが
次のように考えてみると当然でもないことが分かる
まず一つは
筋肉をたどっていくと自然に腱につながっているわけだけれど
その中間点には筋肉から筋膜に、さらに腱膜に、そして腱に移行する微細な変化があり、
「どこから」くべつされるのかについては決定しがたい
腱から骨に至る経過もそのようで腱から腱膜、骨膜、骨と自然に連続して移行している
したがって
分類というものは
人間が肉眼で過察して分かりやすい程度、
しかも、人間の目的に応じて、ということであるらしい
また他方では
個体発生の過程を見てみると、
受精卵かららすべては始まっているわけで、
そこからすべてが連続的に移行して分化しているのだから
隣り合ったものは実は時間を前にずらしてみれば一体のものであったことが納得される
大きく言えば内胚葉性とか外胚葉性、中胚葉性などと言えるけれど
それももとは一体のものであった
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牛を食してきた民族の言葉は牛肉の各部位や年齢により細かに分類をしている
分類すれば便利だからだ
日本語はたとえば四季の変化についての言葉とか
雨の分類についての言葉などが発達していると言われることもある
農業に際して雨の分類は重要だったのだろうと思う
用もないのにわざわざ分類する人はいないわけだ
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こんなことを思いつつ
精神病の分類を考えてみると
なかなか難しい
ずっと昔は精神のことを扱うのは宗教であった
いまでも脳の働きや精神、こころ、霊魂を区別する立場もあるし
それぞれに根拠も背景もあるわけで簡単ではないので
できれば言及したくない
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簡単に言えば
なぜ疾病分類するのかと言えば
精神医学では「治療に役立つから」分類して診断したいのだ
違う薬を使うから違う病気なのだし
違う精神療法をするから違う病気なのだ
同じ薬を使って
同じ精神療法(たとえばロジャーズ)をしているなら
分類は必要ないわけだ
だから、ある薬剤が「いろいろな病気に効果があります」と言う場合には、
現在の精神疾患の分類は無効ですと宣言しているに近いように思う。
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人間にはもともとのDNAがあり、一方で生きてきた歴史というものがあるから
その人について、どのようなDNAであるかを記述し、
さらに生きてきた歴史については、
病前性格、発病エピソード、症状の前駆期、中核期、残遺期、などに区分して記述すれば
情報としてはとりあえずは十分なものであると思う
それらを総合してみた場合に、「治療に有効な分類ができるか」が問題である
昔、うつ病についての「笠原・木村」の分類というもがあって、ずいぶん洗練されたものだったと思う。
治療の方針を与えてくれるものだった。
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