言葉により現実をねじ曲げること

言葉により現実をねじ曲げることを習慣としている人がいて対処に困る

しかし一歩退いて眺めてみれば
誰であっても現実そのものを受け止めているわけではなくて
集団内での了解事項を現実として受け止めているに過ぎない
従って
客観性とかそんなことも強者の論理とも思える
資金力があれば世論を誘導できるし
コマーシャルすれば商品は売れる
学者も法曹もお金次第で作文してくれる
多数決はお金で買える
その程度のものが現実なのだ
そう考えた上で
しかし他人に明らかに迷惑をかける種類の
言葉によるねじ曲げの習慣があるのであって
それについてはやはり
正しく反省してもらう必要もある