ツグミの巣ごもり

六本木の東京ミッドタウンの広報誌があり、
その最後のページに佐伯誠氏の短い文章がある。

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ジェームス・サーバーの短篇集の中の、「ツグミの巣ごもり」
たとえば、野球でいえば、ノーストライク、スリーボール、というカウントのときのバッターの気分のこと。シメシメ、という感じだろうか。
バスタを茹でていて、一本をつまんで口にしてみると、かなりアルデンテで、火を止めたとき。
葉書を書こうと、ペンをとってみて、インクをたっぷり入れてあったとき。
洗濯して干してあったダンガリーのシャツから、日なたの匂いがするとき。
かなり長い小説なんだけど、100ページくらいまで読んできて、登場人物の関係が飲み込めたとき。
そういう時、口笛を吹きたくならないだろうか?

サーバーは晩年、目が悪くなって、字を書くことも、マンガを書くことも出来なくなった。
ところが彼ときたら、ニレとカエデの木に囲まれた邸宅で、来る日も来る日もハックルベリーフィンの冒険を読んで、プードル犬を飼って、地下室にワイン、ルーレットをしながら、雑談して暮らしたいと、のんきな事を言っている。

ツイてなくても弱気をいわないで、ユーモアの煙に巻く、これはタフでなくては出来ないことだ。
しぼみかけた夢を、風船みたいにふくらませるのは、子供には出来ないこと。いつも笑顔でいるのは、最高のマナーだ。

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概略こんな感じ。

いつも笑顔でいること。
笑顔には本当に価値がある。
笑わない美人と
笑う不美人では、
笑う人のほうに価値があるように思う。

笑って過ごしたいし、
人を笑わせて過ごしたい。

そのコツは小さなことのような気がしている。
古典落語全集で研究している。

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夢は叶わないままで終わろうとしている。
現実はもうすぐ命の限界を迎えようとしている。
すべての野望も、奉仕の心も、わずかながらの恋の心も、
すべては淡い夢のままで、終わろうとしている。
この人生のたそがれに、
君がいてくれてよかった。

でも、ツグミの巣ごもりはそんなにもすばらしいことなのだろうか。