防衛機制としてのうぬぼれ

うぬぼれ屋も一種の防衛機制と考えてもいいのかもしれない

現実の自分を現実のままにとらえていたのでは
人生はかなりつまらないしかなり耐え難いのではないか
いざとなれば自分だって少しはすごいのかもしれない、
中学校の時だってそんなことがあった、
そんな風に考えて、少しの間だけ、自分の心に麻酔をかけるのだ。