明け方に見た夢はなんとも辻褄の合わないもので夢らしい夢だった
辻褄が合わないのは脳の辻褄があっていないからだと思うんです
そこに意味が乗っていて感慨を深くするのはもちろんそうなのですが
感慨しているのも脳なわけで
はやり脳の「曲がり具合」が夢の曲がり具合でもあるし
感慨の曲がり具合でもあるんだろうと
さらに科学の話をしても、「みんなで見ている夢」でしかないと思う
内科は「みんなで見ている夢」でその作法で進んでいるだけで
まあ、実際に風邪は治るからいいし
ロケットは飛ぶからいいんですけど
「いとかわ」だかなんだかの報道もひどいし
あれって国民に無理やり夢を押し付けているようで
言えば言うだけ笑われると思うんだが
ーー
おもうに、辻褄の合わなさがむしろ、考える切っ掛けになるのだと思う
まあ、どっちでもいいが
曲がった脳が曲がった夢を見てどうせ辻褄があわないはずなんだと思う
脳の辻褄があっていないということで
現実に適応するにはそのほうがいいんだろう
よく言う車のハンドルの遊び
ーー
旅先で景色が新鮮だ
だけど銀座に勤めている人が
毎日新鮮と思っていれば疲れてしまうので
程々になるはず
そのあたりのピントのボケ方と
ハンドルの遊びと
夢の辻褄のあわなさが対応している感じもある
ーー
視覚でいう黄金比は多分脳のどこかの部分で対応する構造があるんだろう
それとも母親を同定する視覚細胞みたいに黄金比に反応する
細胞があるのか細胞内骨格を考えて、そこに黄金比が埋めこまれているはずと思う
聴覚で黄金比があると聞いたことはないがどうでしょう
聴覚において黄金比がないとすれば 視覚の黄金比細胞がある可能性が高い
聴覚において黄金比があるとすれば 聴覚視覚を問わず細胞内構造の結果である可能性が高い
現実を脳に転写しやすいのだろうと思う
つじつまの合わないことに普段から慣れておくことが
必要で
そのような精神療法が必要なのではないか
脳のピント合わせ機能を自動ではなく随意的にしてしまうという
精神療法がしたいのだ
つじつまが合わないことをオーケーと受け止めて
それなりに合わせていく能力
これはあるがままとかなされるがままとも違う
合理化でもない