脳の辻褄のあわなさ

脳の辻褄のあわなさは

物体を例えば花を見るということにおいては
辻褄があっていて
ピカソの描き方を見てもなお辻褄はあっているように思う
シャガールだって結局はあっているのではないか
つじつまの合わない絵を描こうではないか
そこから精神療法が出発する
ピカソほどの人も辻褄を焦せてしまうのが伝統というものだろう