場の雰囲気をぶち壊す人の例として採録
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ジョークには私自身苦い思い出がたくさんある。
ふと口を突いて出たジョークが、次の瞬間、自分の足元に墓穴を穿っている……という感じの経験を、私は、子供の頃から、幾度となく繰り返してきた。
何回反省しても、直らない。
ジョークを言う前に、言った後の反応について吟味する時間を持つべきだ、と?
その通り。対策は簡単だ。
が、困ったことにジョークは揮発性だ。思いついたその瞬間に、間髪入れずに口の外に出すのでなければ鮮度を保つことができない。そういうことになっている。
しかも、不適切な出来の悪いジョークに限って、思わぬ速度で口から外に出てしまっている。
だから、反省は、常に手遅れだ。
というよりも、反省なんてものは、前向きに見せかけた繰り言に過ぎないのだ。
学校を出て最初に(最初で最後だった)勤めた会社でのことだ。
入社を間近に控えた時期に、就職内定者を集めた昼食会があった。
3月頃だったと思う。
内定者は全部で30人ほど。全員男子。その新入社員予備軍の大学四年生であるわれわれは、5人一組ぐらいの小グループに分かれて、それぞれ円形のテーブルについていた。
テーブルには、かわるがわる常務や営業本部長といった偉い人がやって来る。で、新入社員と会食し、二言三言言葉を交わす運びになっていた。緊張の瞬間である。
私のジョークがスベったのは、副社長がやって来た時だ。
「君たちはどんな社会人になりたいのだね?」
と副社長は言った。あるいは
「どんなAGFマンになりたいんだ?」
という言い方だったかもしれない。
つまり、私に不適切なジョークを言わせたのは、「AGFマン」という言葉に対する学生っぽい反発だったのかもしれないということだ。
ジョークは、必ずしも親和的なものではない。
時に、敵意や反発や呪詛を含んでいる。
不適切なジョークの場合、特に。
私は、
「違いのわかる男になりたいです」
と言った。
このジョークは、30年ほど古い。説明しなければならない。
「違いのわかる男」というのは、うちの会社のライバルであるN社がその主力商品であるところのインスタントコーヒーのCMの中で使っていた定番のフレーズで、当時としては非常に有名な成句だった。
「違いのわかる男になりたいです」
「……」
「……」
「……」
「……」
数にして、6個ほど、時間にして約5秒間の沈黙が私を取り囲んだ。
「ああ」
と私は思ったが、もちろん手遅れだった。
誰もフォローしなかった。
私自身、何もできなかった。
ただ平然としているふうを装うのみ。
悪いくせだ。動揺している時に限って平気な顔をしたがる。実にくだらない虚栄心だ。
結局、私の態度は、不適切なジョークをカマして場をシラけさせたあげくに、凍りつく周囲を冷然と見回して薄笑いを浮かべる、という最悪なところに着地していた。ああ。
たった一人でも笑ってくれれば、雰囲気はかなり違っていたはずだ。
あるいは
「バカ言ってんじゃないよ」
とでも、突っ込んでくれる仲間がいたら、私とて、小憎げなポーカーフェースで恥の上塗りをせずに済んでいただろう。
が、未来の同僚は、誰もが、下を向いて黙っていた。
ジョークは「場」が作るものだ。