人間は環境次第というのは確かだと思う
孟母三遷の教え
私が考えるに知能が高いといことは
環境が悪いにもかかわらず立派に育つということだ
知能が低いということは
環境次第でどうにでもなることをいう
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とはいえ、人間は環境の影響を受ける
たとえば言葉は普段付き合っている人間との間の道具なので
かなりの程度環境次第である
当然言葉が意味する概念も環境により規定されたものだ
独自の概念を一人で使用している場合は
知能障害ではないが別の種類の困難がありそうだ
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日本の場合学校教育が浸透しているしテレビなどの共有情報が大きいから
話が通じないということはあまりない時代が続いたが
どうも最近はそうでもないらしい
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人間は環境次第という側面があると認めるとして
その環境を選択していく力もある
もちろん希望しても叶わないなら意味がないとも言えるのだけれど
変えられる範囲の現実を変えて
自分にとってよい環境を作っていくのも
人間が未来を考えることができるからこそできることだ
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環境次第とは言うものの環境を選ぶことが出来る
その「環境を選ぶ力」も環境に規定されている
ここにパラドックスがあって
「これでいいんだ」型環境だと未来の自分について悩むことはない
しかし成長しない
「もっといい未来があるんだ」型環境だと未来型になるけれど自己否定型にもつながる
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京都に生まれて京都がいいんだと自閉する人はそれはそれで問題がない
京都に生まれたけれど「このままではいけない」と感覚すると
東京でもいけないしニューヨークでもいけないしシンガポールでもいけないし
多分どこでも本当には落ち着かない
開拓者にはいつでも未開拓地が必要だ
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あなたがその集団で違和感を感じているなら
もっとぴったりの環境があるかも
「環境を選ぶ力」を思い出してほしい