楽にいられる人・いられない人
というのも考えると面白そうですね
txtとdocで、中身だけと装飾付きでしょう
人間同士でも
txtが一致しているのと
docの書式が一致しているのとあると思うんですが
必要なのはtxtだけで書式はこっちのに従ってほしいとか
docの書式だけが必要なので、txtはこっちに任せて欲しいとか
txtだけ大事と、docだけ大事という人同士はうまくいくのか行かないのか
分業という点ではうまくいくけれど
薄いtxt+濃いdoc と 濃いtxt+薄いdocだと 学習しあう事にもなり補完し合う事にもなり
ぶつからないので
ある種、楽なのではないか
(わたしはdoc嫌いなので、googleのフリー版と一太郎をつかっています、バージョンアップしてないけど)
あまりに貧困なtxtで驚かれて絶望、別れることになるかもしれないけれど
自分ではいけてると思っているdocが実はだめだったりして
ーー
まあ普通に考えてtxtの中身が問題なわけですけれど
ーー
別の例えをすると
変換辞書が一致していると楽ですよね
連想変換辞書といえばもっと近いけれど
認識ならばまだしもで
連想感情変換辞書がずれているときついでしょうね
桜、虫、切り倒せ
とか
ーー
「次の行動予測・辞書」が一致していれば楽ですね
シャワーを浴びているときに何をして欲しいか何をして欲しくないか
それぞれの人でいろいろあると思う
時間、状況で違うようだ
そのあたりの細かい配慮は自閉傾向の人は苦手